2007年07月07日

朗読のポイント

朗読は声を出して読むことであれば音読とさほど変わるありません。

しかし朗読は、声の強弱による感情をこめ、のいかに思い浮かび上がらせるかがポイントになります。

朗読上達のポイントは、ずばり上手な朗読を聞くことから始まります。

人の朗読を聞くことで、スピードや感情のこめ方を学んでください。
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2007年04月27日

オツベルと象

宮沢賢治の「オツベルと象」を朗読してみましょう




ある牛飼(うしか)いがものがたる

   第一日曜

 オツベルときたら大したもんだ。稲扱(いねこき)器械の六台も据(す)えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。
 十六人の百姓(ひゃくしょう)どもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で踏(ふ)んで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしから扱(こ)いて行く。藁(わら)はどんどんうしろの方へ投げられて、また新らしい山になる。そこらは、籾(もみ)や藁から発(た)ったこまかな塵(ちり)で、変にぼうっと黄いろになり、まるで沙漠(さばく)のけむりのようだ。
 そのうすくらい仕事場を、オツベルは、大きな琥珀(こはく)のパイプをくわえ、吹殻(ふきがら)を藁に落さないよう、眼(め)を細くして気をつけながら、両手を背中に組みあわせて、ぶらぶら往(い)ったり来たりする。
 小屋はずいぶん頑丈(がんじょう)で、学校ぐらいもあるのだが、何せ新式稲扱器械が、六台もそろってまわってるから、のんのんのんのんふるうのだ。中にはいるとそのために、すっかり腹が空(す)くほどだ。そしてじっさいオツベルは、そいつで上手に腹をへらし、ひるめしどきには、六寸ぐらいのビフテキだの、雑巾(ぞうきん)ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ。
 とにかく、そうして、のんのんのんのんやっていた。
 そしたらそこへどういうわけか、その、白象がやって来た。白い象だぜ、ペンキを塗(ぬ)ったのでないぜ。どういうわけで来たかって? そいつは象のことだから、たぶんぶらっと森を出て、ただなにとなく来たのだろう。
 そいつが小屋の入口に、ゆっくり顔を出したとき、百姓どもはぎょっとした。なぜぎょっとした? よくきくねえ、何をしだすか知れないじゃないか。かかり合っては大へんだから、どいつもみな、いっしょうけんめい、じぶんの稲を扱いていた。
 ところがそのときオツベルは、ならんだ器械のうしろの方で、ポケットに手を入れながら、ちらっと鋭(するど)く象を見た。それからすばやく下を向き、何でもないというふうで、いままでどおり往ったり来たりしていたもんだ。
 するとこんどは白象が、片脚(かたあし)床(ゆか)にあげたのだ。百姓どもはぎょっとした。それでも仕事が忙(いそが)しいし、かかり合ってはひどいから、そっちを見ずに、やっぱり稲を扱いていた。
 オツベルは奥(おく)のうすくらいところで両手をポケットから出して、も一度ちらっと象を見た。それからいかにも退屈(たいくつ)そうに、わざと大きなあくびをして、両手を頭のうしろに組んで、行ったり来たりやっていた。ところが象が威勢(いせい)よく、前肢(まえあし)二つつきだして、小屋にあがって来ようとする。百姓どもはぎくっとし、オツベルもすこしぎょっとして、大きな琥珀のパイプから、ふっとけむりをはきだした。それでもやっぱりしらないふうで、ゆっくりそこらをあるいていた。
 そしたらとうとう、象がのこのこ上って来た。そして器械の前のとこを、呑気(のんき)にあるきはじめたのだ。
 ところが何せ、器械はひどく廻(まわ)っていて、籾(もみ)は夕立か霰(あられ)のように、パチパチ象にあたるのだ。象はいかにもうるさいらしく、小さなその眼を細めていたが、またよく見ると、たしかに少しわらっていた。
 オツベルはやっと覚悟(かくご)をきめて、稲扱(いねこき)器械の前に出て、象に話をしようとしたが、そのとき象が、とてもきれいな、鶯(うぐいす)みたいないい声で、こんな文句を云(い)ったのだ。
「ああ、だめだ。あんまりせわしく、砂がわたしの歯にあたる。」
 まったく籾は、パチパチパチパチ歯にあたり、またまっ白な頭や首にぶっつかる。
 さあ、オツベルは命懸(いのちが)けだ。パイプを右手にもち直し、度胸を据えて斯(こ)う云った。
「どうだい、此処(ここ)は面白(おもしろ)いかい。」
「面白いねえ。」象がからだを斜(なな)めにして、眼を細くして返事した。
「ずうっとこっちに居たらどうだい。」
 百姓どもははっとして、息を殺して象を見た。オツベルは云ってしまってから、にわかにがたがた顫(ふる)え出す。ところが象はけろりとして
「居てもいいよ。」と答えたもんだ。
「そうか。それではそうしよう。そういうことにしようじゃないか。」オツベルが顔をくしゃくしゃにして、まっ赤になって悦(よろこ)びながらそう云った。
 どうだ、そうしてこの象は、もうオツベルの財産だ。いまに見たまえ、オツベルは、あの白象を、はたらかせるか、サーカス団に売りとばすか、どっちにしても万円以上もうけるぜ。

   第二日曜

 オツベルときたら大したもんだ。それにこの前稲扱小屋で、うまく自分のものにした、象もじっさい大したもんだ。力も二十馬力もある。第一みかけがまっ白で、牙(きば)はぜんたいきれいな象牙(ぞうげ)でできている。皮も全体、立派で丈夫(じょうぶ)な象皮なのだ。そしてずいぶんはたらくもんだ。けれどもそんなに稼(かせ)ぐのも、やっぱり主人が偉(えら)いのだ。
「おい、お前は時計は要(い)らないか。」丸太で建てたその象小屋の前に来て、オツベルは琥珀のパイプをくわえ、顔をしかめて斯う訊(き)いた。
「ぼくは時計は要らないよ。」象がわらって返事した。
「まあ持って見ろ、いいもんだ。」斯う言いながらオツベルは、ブリキでこさえた大きな時計を、象の首からぶらさげた。
「なかなかいいね。」象も云う。
「鎖(くさり)もなくちゃだめだろう。」オツベルときたら、百キロもある鎖をさ、その前肢にくっつけた。
「うん、なかなか鎖はいいね。」三あし歩いて象がいう。
「靴(くつ)をはいたらどうだろう。」
「ぼくは靴などはかないよ。」
「まあはいてみろ、いいもんだ。」オツベルは顔をしかめながら、赤い張子の大きな靴を、象のうしろのかかとにはめた。
「なかなかいいね。」象も云う。
「靴に飾(かざ)りをつけなくちゃ。」オツベルはもう大急ぎで、四百キロある分銅を靴の上から、穿(は)め込んだ。
「うん、なかなかいいね。」象は二あし歩いてみて、さもうれしそうにそう云った。
 次の日、ブリキの大きな時計と、やくざな紙の靴とはやぶけ、象は鎖と分銅だけで、大よろこびであるいて居(お)った。
「済まないが税金も高いから、今日はすこうし、川から水を汲(く)んでくれ。」オツベルは両手をうしろで組んで、顔をしかめて象に云う。
「ああ、ぼく水を汲んで来よう。もう何ばいでも汲んでやるよ。」
 象は眼を細くしてよろこんで、そのひるすぎに五十だけ、川から水を汲んで来た。そして菜っ葉の畑にかけた。
 夕方象は小屋に居て、十把(ぱ)の藁(わら)をたべながら、西の三日の月を見て、
「ああ、稼(かせ)ぐのは愉快(ゆかい)だねえ、さっぱりするねえ」と云っていた。
「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎを運んでくれ」オツベルは房(ふさ)のついた赤い帽子(ぼうし)をかぶり、両手をかくしにつっ込んで、次の日象にそう言った。
「ああ、ぼくたきぎを持って来よう。いい天気だねえ。ぼくはぜんたい森へ行くのは大すきなんだ」象はわらってこう言った。
 オツベルは少しぎょっとして、パイプを手からあぶなく落としそうにしたがもうあのときは、象がいかにも愉快なふうで、ゆっくりあるきだしたので、また安心してパイプをくわえ、小さな咳(せき)を一つして、百姓どもの仕事の方を見に行った。
 そのひるすぎの半日に、象は九百把たきぎを運び、眼を細くしてよろこんだ。
 晩方象は小屋に居て、八把の藁をたべながら、西の四日の月を見て
「ああ、せいせいした。サンタマリア」と斯(こ)うひとりごとしたそうだ。
 その次の日だ、
「済まないが、税金が五倍になった、今日は少うし鍛冶場(かじば)へ行って、炭火を吹(ふ)いてくれないか」
「ああ、吹いてやろう。本気でやったら、ぼく、もう、息で、石もなげとばせるよ」
 オツベルはまたどきっとしたが、気を落ち付けてわらっていた。
 象はのそのそ鍛冶場へ行って、べたんと肢を折って座(すわ)り、ふいごの代りに半日炭を吹いたのだ。
 その晩、象は象小屋で、七把(わ)の藁をたべながら、空の五日の月を見て
「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と斯う言った。
 どうだ、そうして次の日から、象は朝からかせぐのだ。藁も昨日はただ五把だ。よくまあ、五把の藁などで、あんな力がでるもんだ。
 じっさい象はけいざいだよ。それというのもオツベルが、頭がよくてえらいためだ。オツベルときたら大したもんさ。

   第五日曜

 オツベルかね、そのオツベルは、おれも云おうとしてたんだが、居なくなったよ。
 まあ落ちついてききたまえ。前にはなしたあの象を、オツベルはすこしひどくし過ぎた。しかたがだんだんひどくなったから、象がなかなか笑わなくなった。時には赤い竜(りゅう)の眼をして、じっとこんなにオツベルを見おろすようになってきた。
 ある晩象は象小屋で、三把の藁をたべながら、十日の月を仰(あお)ぎ見て、
「苦しいです。サンタマリア。」と云ったということだ。
 こいつを聞いたオツベルは、ことごと象につらくした。
 ある晩、象は象小屋で、ふらふら倒(たお)れて地べたに座り、藁もたべずに、十一日の月を見て、
「もう、さようなら、サンタマリア。」と斯う言った。
「おや、何だって? さよならだ?」月が俄(にわ)かに象に訊(き)く。
「ええ、さよならです。サンタマリア。」
「何だい、なりばかり大きくて、からっきし意気地(いくじ)のないやつだなあ。仲間へ手紙を書いたらいいや。」月がわらって斯う云った。
「お筆も紙もありませんよう。」象は細ういきれいな声で、しくしくしくしく泣き出した。
「そら、これでしょう。」すぐ眼の前で、可愛(かあい)い子どもの声がした。象が頭を上げて見ると、赤い着物の童子が立って、硯(すずり)と紙を捧(ささ)げていた。象は早速手紙を書いた。
「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出て来て助けてくれ。」
 童子はすぐに手紙をもって、林の方へあるいて行った。
 赤衣(せきい)の童子が、そうして山に着いたのは、ちょうどひるめしごろだった。このとき山の象どもは、沙羅樹(さらじゅ)の下のくらがりで、碁(ご)などをやっていたのだが、額をあつめてこれを見た。
「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出てきて助けてくれ。」
 象は一せいに立ちあがり、まっ黒になって吠(ほ)えだした。
「オツベルをやっつけよう」議長の象が高く叫(さけ)ぶと、
「おう、でかけよう。グララアガア、グララアガア。」みんながいちどに呼応する。
 さあ、もうみんな、嵐(あらし)のように林の中をなきぬけて、グララアガア、グララアガア、野原の方へとんで行く。どいつもみんなきちがいだ。小さな木などは根こぎになり、藪(やぶ)や何かもめちゃめちゃだ。グワア グワア グワア グワア、花火みたいに野原の中へ飛び出した。それから、何の、走って、走って、とうとう向うの青くかすんだ野原のはてに、オツベルの邸(やしき)の黄いろな屋根を見附(みつ)けると、象はいちどに噴火(ふんか)した。
 グララアガア、グララアガア。その時はちょうど一時半、オツベルは皮の寝台(しんだい)の上でひるねのさかりで、烏(からす)の夢(ゆめ)を見ていたもんだ。あまり大きな音なので、オツベルの家の百姓どもが、門から少し外へ出て、小手をかざして向うを見た。林のような象だろう。汽車より早くやってくる。さあ、まるっきり、血の気も失せてかけ込(こ)んで、
「旦那(だんな)あ、象です。押し寄せやした。旦那あ、象です。」と声をかぎりに叫んだもんだ。
 ところがオツベルはやっぱりえらい。眼をぱっちりとあいたときは、もう何もかもわかっていた。
「おい、象のやつは小屋にいるのか。居る? 居る? 居るのか。よし、戸をしめろ。戸をしめるんだよ。早く象小屋の戸をしめるんだ。ようし、早く丸太を持って来い。とじこめちまえ、畜生(ちくしょう)めじたばたしやがるな、丸太をそこへしばりつけろ。何ができるもんか。わざと力を減らしてあるんだ。ようし、もう五六本持って来い。さあ、大丈夫だ。大丈夫だとも。あわてるなったら。おい、みんな、こんどは門だ。門をしめろ。かんぬきをかえ。つっぱり。つっぱり。そうだ。おい、みんな心配するなったら。しっかりしろよ。」オツベルはもう支度(したく)ができて、ラッパみたいないい声で、百姓どもをはげました。ところがどうして、百姓どもは気が気じゃない。こんな主人に巻き添(ぞ)いなんぞ食いたくないから、みんなタオルやはんけちや、よごれたような白いようなものを、ぐるぐる腕(うで)に巻きつける。降参をするしるしなのだ。
 オツベルはいよいよやっきとなって、そこらあたりをかけまわる。オツベルの犬も気が立って、火のつくように吠(ほ)えながら、やしきの中をはせまわる。
 間もなく地面はぐらぐらとゆられ、そこらはばしゃばしゃくらくなり、象はやしきをとりまいた。グララアガア、グララアガア、その恐(おそ)ろしいさわぎの中から、
「今助けるから安心しろよ。」やさしい声もきこえてくる。
「ありがとう。よく来てくれて、ほんとに僕(ぼく)はうれしいよ。」象小屋からも声がする。さあ、そうすると、まわりの象は、一そうひどく、グララアガア、グララアガア、塀(へい)のまわりをぐるぐる走っているらしく、度々中から、怒(おこ)ってふりまわす鼻も見える。けれども塀はセメントで、中には鉄も入っているから、なかなか象もこわせない。塀の中にはオツベルが、たった一人で叫んでいる。百姓どもは眼もくらみ、そこらをうろうろするだけだ。そのうち外の象どもは、仲間のからだを台にして、いよいよ塀を越(こ)しかかる。だんだんにゅうと顔を出す。その皺(しわ)くちゃで灰いろの、大きな顔を見あげたとき、オツベルの犬は気絶した。さあ、オツベルは射(う)ちだした。六連発のピストルさ。ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、ところが弾丸(たま)は通らない。牙(きば)にあたればはねかえる。一疋(ぴき)なぞは斯(こ)う言った。
「なかなかこいつはうるさいねえ。ぱちぱち顔へあたるんだ。」
 オツベルはいつかどこかで、こんな文句をきいたようだと思いながら、ケースを帯からつめかえた。そのうち、象の片脚が、塀からこっちへはみ出した。それからも一つはみ出した。五匹の象が一ぺんに、塀からどっと落ちて来た。オツベルはケースを握ったまま、もうくしゃくしゃに潰(つぶ)れていた。早くも門があいていて、グララアガア、グララアガア、象がどしどしなだれ込む。
「牢(ろう)はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マッチのようにへし折られ、あの白象は大へん瘠(や)せて小屋を出た。
「まあ、よかったねやせたねえ。」みんなはしずかにそばにより、鎖と銅をはずしてやった。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。
 おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。





俳優・常田富士男さんの朗読を聴いてみましょう。
朗読:オツベルと象

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なめとこ山の熊

宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を朗読してみましょう





 なめとこ山の熊(くま)のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢(ふちざわ)川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ。山のなかごろに大きな洞穴(ほらあな)ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみの中をごうと落ちて来る。
 中山街道はこのごろは誰(たれ)も歩かないから蕗(ふき)やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁(に)げて登らないように柵(さく)をみちにたてたりしているけれどもそこをがさがさ三里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているような音がする。気をつけてそっちを見ると何だかわけのわからない白い細長いものが山をうごいて落ちてけむりを立てているのがわかる。それがなめとこ山の大空滝だ。そして昔はそのへんには熊がごちゃごちゃ居たそうだ。ほんとうはなめとこ山も熊の胆(い)も私は自分で見たのではない。人から聞いたり考えたりしたことばかりだ。間ちがっているかもしれないけれども私はそう思うのだ。とにかくなめとこ山の熊の胆(い)は名高いものになっている。
 腹の痛いのにもきけば傷もなおる。鉛の湯の入口になめとこ山の熊の胆(い)ありという昔からの看板もかかっている。だからもう熊はなめとこ山で赤い舌をべろべろ吐いて谷をわたったり熊の子供らがすもうをとっておしまいぽかぽか撲(なぐ)りあったりしていることはたしかだ。熊捕りの名人の淵沢小十郎がそれを片っぱしから捕ったのだ。
 淵沢小十郎はすがめの赭黒(あかぐろ)いごりごりしたおやじで胴は小さな臼(うす)ぐらいはあったし掌(てのひら)は北島の毘沙門(びしゃもん)さんの病気をなおすための手形ぐらい大きく厚かった。小十郎は夏なら菩提樹(マダ)の皮でこさえたけらを着てはむばきをはき生蕃(せいばん)の使うような山刀とポルトガル伝来というような大きな重い鉄砲をもってたくましい黄いろな犬をつれてなめとこ山からしどけ沢から三つ又からサッカイの山からマミ穴森から白沢からまるで縦横にあるいた。木がいっぱい生えているから谷を溯(のぼ)っているとまるで青黒いトンネルの中を行くようで時にはぱっと緑と黄金(きん)いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたように日光が落ちていることもある。そこを小十郎が、まるで自分の座敷の中を歩いているというふうでゆっくりのっしのっしとやって行く。犬はさきに立って崖(がけ)を横這(よこば)いに走ったりざぶんと水にかけ込んだり淵ののろのろした気味の悪いとこをもう一生けん命に泳いでやっと向うの岩にのぼるとからだをぶるぶるっとして毛をたてて水をふるい落しそれから鼻をしかめて主人の来るのを待っている。小十郎は膝(ひざ)から上にまるで屏風(びょうぶ)のような白い波をたてながらコンパスのように足を抜き差しして口を少し曲げながらやって来る。そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれどもなめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこいだり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。木の上から両手で枝にとりついたり崖の上で膝をかかえて座ったりしておもしろそうに小十郎を見送っているのだ。まったく熊どもは小十郎の犬さえすきなようだった。けれどもいくら熊どもだってすっかり小十郎とぶっつかって犬がまるで火のついたまりのようになって飛びつき小十郎が眼(め)をまるで変に光らして鉄砲をこっちへ構えることはあんまりすきではなかった。そのときは大ていの熊は迷惑そうに手をふってそんなことをされるのを断わった。けれども熊もいろいろだから気の烈(はげ)しいやつならごうごう咆(ほ)えて立ちあがって、犬などはまるで踏みつぶしそうにしながら小十郎の方へ両手を出してかかって行く。小十郎はぴったり落ち着いて樹(き)をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけてズドンとやるのだった。すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだった。小十郎は鉄砲を木へたてかけて注意深くそばへ寄って来てこう言うのだった。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射(う)たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰(たれ)も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」
 そのときは犬もすっかりしょげかえって眼を細くして座っていた。
 何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏うち中みんな赤痢(せきり)にかかってとうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中にぴんぴんして生きていたのだ。
 それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎(あご)のとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いていくのだった。それからあとの景色は僕は大きらいだ。けれどもとにかくおしまい小十郎がまっ赤な熊の胆(い)をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。
 小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がした。ある年の春はやく山の木がまだ一本も青くならないころ小十郎は犬を連れて白沢をずうっとのぼった。夕方になって小十郎はばっかぃ沢へこえる峯(みね)になった処(ところ)へ去年の夏こさえた笹小屋(ささごや)へ泊ろうと思ってそこへのぼって行った。そしたらどういう加減か小十郎の柄にもなく登り口をまちがってしまった。
 なんべんも谷へ降りてまた登り直して犬もへとへとにつかれ小十郎も口を横にまげて息をしながら半分くずれかかった去年の小屋を見つけた。小十郎がすぐ下に湧水(わきみず)のあったのを思い出して少し山を降りかけたら愕(おどろ)いたことは母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋(ひき)ちょうど人が額に手をあてて遠くを眺(なが)めるといったふうに淡い六日の月光の中を向うの谷をしげしげ見つめているのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付(くぎづ)けになったように立ちどまってそっちを見つめていた。すると小熊が甘えるように言ったのだ。
「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」
 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと言った。
「雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの」
 子熊はまた言った。
「だから溶けないで残ったのでしょう」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです」
 小十郎もじっとそっちを見た。
 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこがちょうど銀の鎧(よろい)のように光っているのだった。しばらくたって子熊が言った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ」
 ほんとうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキエ)もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ」
「いいえ、お前まだ見たことありません」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう」
「そうだろうか」子熊はとぼけたように答えました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退(あとずさ)りした。くろもじの木の匂(におい)が月のあかりといっしょにすうっとさした。

 ところがこの豪儀な小十郎がまちへ熊の皮と胆(きも)を売りに行くときのみじめさといったら全く気の毒だった。
 町の中ほどに大きな荒物屋があって笊(ざる)だの砂糖だの砥石(といし)だの金天狗(きんてんぐ)やカメレオン印の煙草(たばこ)だのそれから硝子(ガラス)の蠅(はえ)とりまでならべていたのだ。小十郎が山のように毛皮をしょってそこのしきいを一足またぐと店では又来たかというようにうすわらっているのだった。店の次の間に大きな唐金(からかね)の火鉢(ひばち)を出して主人がどっかり座っていた。
「旦那(だんな)さん、先(せん)ころはどうもありがどうごあんした」
 あの山では主のような小十郎は毛皮の荷物を横におろして叮(てい)ねいに敷板に手をついて言うのだった。
「はあ、どうも、今日は何のご用です」
「熊の皮また少し持って来たます」
「熊の皮か。この前のもまだあのまましまってあるし今日ぁまんついいます」
「旦那さん、そう言わなぃでどうか買って呉(く)んなさぃ。安くてもいいます」
「なんぼ安くても要らなぃます」主人は落ち着きはらってきせるをたんたんとてのひらへたたくのだ、あの豪気な山の中の主の小十郎はこう言われるたびにもうまるで心配そうに顔をしかめた。何せ小十郎のとこでは山には栗(くり)があったしうしろのまるで少しの畑からは稗(ひえ)がとれるのではあったが米などは少しもできず味噌(みそ)もなかったから九十になるとしよりと子供ばかりの七人家内にもって行く米はごくわずかずつでも要ったのだ。
 里の方のものなら麻もつくったけれども、小十郎のとこではわずか藤(ふじ)つるで編む入れ物の外に布にするようなものはなんにも出来なかったのだ。小十郎はしばらくたってからまるでしわがれたような声で言ったもんだ。
「旦那さん、お願だます。どうが何ぼでもいいはんて買って呉(く)なぃ」小十郎はそう言いながら改めておじぎさえしたもんだ。
 主人はだまってしばらくけむりを吐いてから顔の少しでにかにか笑うのをそっとかくして言ったもんだ。
「いいます。置いでお出れ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろじゃ」
 店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へ座って出した。小十郎はそれを押しいただくようにしてにかにかしながら受け取った。それから主人はこんどはだんだん機嫌がよくなる。
「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ」
 小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしている。主人はゆっくりいろいろ談(はな)す。小十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。間もなく台所の方からお膳(ぜん)できたと知らせる。小十郎は半分辞退するけれども結局台所のとこへ引っぱられてってまた叮寧な挨拶(あいさつ)をしている。
 間もなく塩引の鮭(さけ)の刺身やいかの切り込みなどと酒が一本黒い小さな膳にのって来る。
 小十郎はちゃんとかしこまってそこへ腰掛けていかの切り込みを手の甲にのせてべろりとなめたりうやうやしく黄いろな酒を小さな猪口(ちょこ)についだりしている。いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いと誰(たれ)でも思う。実に安いしあんまり安いことは小十郎でも知っている。けれどもどうして小十郎はそんな町の荒物屋なんかへでなしにほかの人へどしどし売れないか。それはなぜか大ていの人にはわからない。けれども日本では狐(きつね)けんというものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまっている。ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。

 こんなふうだったから小十郎は熊どもは殺してはいても決してそれを憎んではいなかったのだ。ところがある年の夏こんなようなおかしなことが起ったのだ。
 小十郎が谷をばちゃばちゃ渉(わた)って一つの岩にのぼったらいきなりすぐ前の木に大きな熊が猫(ねこ)のようにせなかを円くしてよじ登っているのを見た。小十郎はすぐ鉄砲をつきつけた。犬はもう大悦(おおよろこ)びで木の下に行って木のまわりを烈(はげ)しく馳(は)せめぐった。
 すると樹の上の熊はしばらくの間おりて小十郎に飛びかかろうかそのまま射(う)たれてやろうか思案しているらしかったがいきなり両手を樹からはなしてどたりと落ちて来たのだ。小十郎は油断なく銃を構えて打つばかりにして近寄って行ったら熊は両手をあげて叫んだ。
「おまえは何がほしくておれを殺すんだ」
「ああ、おれはお前の毛皮と、胆(きも)のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ」
「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」
 小十郎は変な気がしてじっと考えて立ってしまいました。熊はそのひまに足うらを全体地面につけてごくゆっくりと歩き出した。小十郎はやっぱりぼんやり立っていた。熊はもう小十郎がいきなりうしろから鉄砲を射ったり決してしないことがよくわかってるというふうでうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った。そしてその広い赤黒いせなかが木の枝の間から落ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなそうにうなって谷をわたって帰りはじめた。それからちょうど二年目だったがある朝小十郎があんまり風が烈しくて木もかきねも倒れたろうと思って外へ出たらひのきのかきねはいつものようにかわりなくその下のところに始終見たことのある赤黒いものが横になっているのでした。ちょうど二年目だしあの熊がやって来るかと少し心配するようにしていたときでしたから小十郎はどきっとしてしまいました。そばに寄って見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていた。小十郎は思わず拝むようにした。

 一月のある日のことだった。小十郎は朝うちを出るときいままで言ったことのないことを言った。
「婆(ば)さま、おれも年老(と)ったでばな、今朝まず生れで始めで水へ入るの嫌(や)んたよな気するじゃ」
 すると縁側の日なたで糸を紡いでいた九十になる小十郎の母はその見えないような眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑うか泣くかするような顔つきをした。小十郎はわらじを結えてうんとこさと立ちあがって出かけた。子供らはかわるがわる厩(うまや)の前から顔を出して「爺(じ)さん、早ぐお出(で)や」と言って笑った。小十郎はまっ青なつるつるした空を見あげてそれから孫たちの方を向いて「行って来るじゃぃ」と言った。
 小十郎はまっ白な堅雪の上を白沢の方へのぼって行った。
 犬はもう息をはあはあし赤い舌を出しながら走ってはとまり走ってはとまりして行った。間もなく小十郎の影は丘の向うへ沈んで見えなくなってしまい子供らは稗(ひえ)の藁(わら)でふじつきをして遊んだ。

 小十郎は白沢の岸を溯(のぼ)って行った。水はまっ青に淵(ふち)になったり硝子(ガラス)板をしいたように凍ったりつららが何本も何本もじゅずのようになってかかったりそして両岸からは赤と黄いろのまゆみの実が花が咲いたようにのぞいたりした。小十郎は自分と犬との影法師がちらちら光り樺(かば)の幹の影といっしょに雪にかっきり藍(あい)いろの影になってうごくのを見ながら溯って行った。
 白沢から峯を一つ越えたとこに一疋の大きなやつが棲(す)んでいたのを夏のうちにたずねておいたのだ。
 小十郎は谷に入って来る小さな支流を五つ越えて何べんも何べんも右から左左から右へ水をわたって溯って行った。そこに小さな滝があった。小十郎はその滝のすぐ下から長根の方へかけてのぼりはじめた。雪はあんまりまばゆくて燃えているくらい。小十郎は眼がすっかり紫の眼鏡(めがね)をかけたような気がして登って行った。犬はやっぱりそんな崖(がけ)でも負けないというようにたびたび滑りそうになりながら雪にかじりついて登ったのだ。やっと崖を登りきったらそこはまばらに栗の木の生えたごくゆるい斜面の平らで雪はまるで寒水石という風にギラギラ光っていたしまわりをずうっと高い雪のみねがにょきにょきつったっていた。小十郎がその頂上でやすんでいたときだ。いきなり犬が火のついたように咆(ほ)え出した。小十郎がびっくりしてうしろを見たらあの夏に眼をつけておいた大きな熊が両足で立ってこっちへかかって来たのだ。
 小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構えた。熊は棒のような両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。さすがの小十郎もちょっと顔いろを変えた。
 ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐(あらし)のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛(か)み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
 もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。
 とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光(りんこう)をあげた。すばるや参(しん)の星が緑や橙(だいだい)にちらちらして呼吸をするように見えた。
 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた。
 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。




俳優・常田富士男さんの朗読を聴いてみましょう。
朗読:なめとこ山の熊



posted by 朗読太郎 at 00:57| 朗読する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シグナルとシグナレス

宮沢賢治の「シグナルとシグナレス」を朗読してみましょう






 『ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   さそりの赤眼が 見えたころ、
   四時から今朝も やって来た。
   遠野の盆地は まっくらで、
   つめたい水の 声ばかり。
  ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   凍えた砂利に 湯気を吐き、
   火花を闇に まきながら、
   蛇紋岩の 崖に来て、
   やっと東が 燃え出した。
  ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   鳥がなき出し 木は光り、
   青々川は ながれたが、
   丘もはざまも いちめんに、
   まぶしい霜を 載せていた。
  ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   やっぱりかけると あったかだ
   僕はほうほう 汗が出る。
   もう七八里 はせたいな、
   今日も、一日 霜ぐもり。
  ガタンガタン、ギー、シュウシュウ』
 軽便鉄道の東からの一番列車が少しあわてたようにこう歌いながらやって来てとまりました。機関車の下からは、力のない湯気が逃出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突からは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。
 そこで軽便鉄道附きの電信柱どもは、やっと安心したように、ぶんぶんとうなり、シグナルの柱はかたんと白い腕木をあげました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。
 シグナレスはほっと小さなため息をついて空を見上げました。そらにはうすい雲が縞になっていっぱいに充ち、それはつめたい白光、凍った地面に降らせながら、しずかに東へ流れていたのです。
 シグナレスはじっとその雲の行く方をながめました。それからやさしい腕木を思い切りそっちの方へ延ばしながら、ほんのかすかにひとりごとを云いました。
『今朝は伯母さんたちもきっとこっちの方を見ていらっしゃるわ。』シグナレスはいつまでもいつまでもそっちに気をとられて居りました。
『カタン』
 うしろの方のしずかな空でいきなり音がしましたのでシグナレスは急いでそっちを振り向きました。ずうっと積まれた黒い枕木の向うにあの立派な本線のシグナルばしらが今はるかの南から、かがやく白けむりをあげてやって来る列車を迎える為にその上の硬い腕をさげたところでした。
『お早う今朝は暖ですね。』本線のシグナル柱はキチンと兵隊のように立ちながらいやにまじめくさって挨拶しました。
『お早うございます』シグナレスはふし目になって声を落して答えました。
『若さま、いけません。これからはあんなものに矢鱈に声をおかけなさらないようにねがいます。』本線のシグナルに夜電気を送る太い電信ばしらがさも勿体ぶって申しました。
 本線のシグナルはきまり悪そうにもじもじしてだまってしまいました。気の弱いシグナレスはまるでもう消えてしまうか飛んでしまうかしたいと思いました。けれどもどうにも仕方がありませんでしたからやっぱりじっと立っていたのです。
 雲の縞は薄い琥珀の板のようにうるみ、かすかなかすかな日光が降って来ましたので本線シグナル附きの電信柱はうれしがって向うの野原を行く小さな荷馬車を見ながら低く調子はずれの歌をやりました。
『ゴゴン、ゴーゴー、
 うすい雲から
 酒が降り出す、
 酒の中から
 霜がながれる。ゴゴンゴーゴー
 ゴゴンゴーゴー霜がとければ
 つちはまっくろ。
 馬はふんごみ
 人もべちゃべちゃゴゴンゴーゴー、』



 それからもっともっとつづけざまにわけのわからないことを歌いました。
 その間に本線のシグナル柱が、そっと西風にたのんでこう云いました。
『どうか気にかけないで下さい。こいつはもうまるで野蛮なんです礼式も何も知らないのです。実際私はいつでも困ってるんですよ。』
 軽便鉄道のシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低く、
『あら、そんなことございませんわ。』と云いましたが何分風下でしたから本線のシグナルまで聞えませんでした。
『許して下さるんですか、本統を云ったら、僕なんかあなたに怒られたら生きている甲斐もないんですからね、』
『あらあら、そんなこと。』軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困ったというように肩をすぼめましたが、実はその少しうつむいた顔は、うれしさにぼっと白光を出していました。
『シグナレスさん、どうかまじめで聞いて下さい。僕あなたの為なら、次の十時の汽車が来る時腕を下げないで、じっと頑張り通してでも見せますよ』わずかばかりヒュウヒュウ云っていた風が、この時ぴたりとやみました。
『あら、そんな事いけませんわ。』
『勿論いけないですよ。汽車が来るとき、腕を下げないで頑張るなんて、そんなことあなたの為にも僕の為にもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと云うんです。僕あなたの位大事なものは世界中ないんです。どうか僕を愛して下さい』
 シグナレスは、じっと下の方を見て黙って立っていました。本線シグナル附きのせいの低い電信柱は、まだ出鱈目の歌をやっています。
『ゴゴンゴーゴー、
 やまのいわやで、
 熊が火をたき、
 あまりけむくて、
 ほらを逃出す。ゴゴンゴー、
 田螺はのろのろ、
 うう、田螺はのろのろ。
 田螺のしゃっぽは、
 羅紗の上等 ゴゴンゴーゴー。』
 本線のシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事のないのに、まるであわててしまいました。
『シグナレスさん、あなたはお返事をして下さらないんですか。ああ僕はもうまるでくらやみだ。目の前がまるでまっ黒な淵のようだ。ああ雷が落ちて来て、一ぺんに僕のからだをくだけ。足もとから噴火が起って、僕を空の遠くにほうりなげろ。もうなにもかもみんなおしまいだ。雷が落ちて来て一ぺんに僕のからだを砕け。足もと……。』
『いや若様、雷が参りました節は手前一身におんわざわいを頂戴いたします。どうかご安心をねがいとう存じます』
 シグナル附きの電信柱が、いつかでたらめの歌をやめて頭の上のはりがねの槍をぴんと立てながら眼をパチパチさせていました。
『えい。お前なんか何を云うんだ。
 僕はそれどこじゃないんだ。』
『それは又どうしたことでござりまする。
 ちょっとやつがれまでお申し聞けになりとう存じます。』
『いいよ、お前はだまっておいで』シグナルは高く叫びました。しかしシグナルも、もうだまってしまいました。
 雲がだんだん薄くなって柔かな陽が射して参りました。



 五日の月が、西の山脈の上の黒い横雲から、もう一ぺん顔を出して山へ沈む前の、ほんのしばらくを鈍い鉛のような光で、そこらをいっぱいにしました。冬がれの木やつみ重ねられた黒い枕木はもちろんのこと、電信柱まで、みんな眠ってしまいました。遠くの遠くの風の音か水の音がごうと鳴るだけです。
『ああ、僕はもう生きてる甲斐もないんだ。汽車が来るたびに腕を下げたり、青いめがねをかけたり一体何の為にこんなことをするんだ。もうなんにも面白くない。ああ死のう。けれどもどうして死ぬ。やっぱり雷か噴火だ。』
 本線のシグナルは、今夜も眠られませんでした。非常なはんもんでした。けれどもそれはシグナルばかりではありません。枕木の向うに青白くしょんぼり立って赤い火をかかげている、軽便鉄道のシグナル、則ちシグナレスとても全くその通りでした。
『ああ、シグナルさんもあんまりだわ、あたしが云えないでお返事も出来ないのを、すぐあんなに怒っておしまいになるなんて。あたしもう何もかもみんなおしまいだわ。おお神様、シグナルさんに雷を落すとき、一緒に私にもお落し下さいませ。』
 こう云って、しきりに星ぞらに祈っているのでした。ところがその声が、かすかにシグナルの耳に入りました。シグナルはぎょっとしたように胸を張って、しばらく考えていましたが、やがてガタガタ顫え出しました。
 顫えながら云いました。
『シグナレスさん。あなたは何を祈っていられますか。』
『あたし存じませんわ。』シグナレスは声を落して答えました。
『シグナレスさん、それはあんまりひどいお言葉でしょう。僕はもう今すぐでもお雷さんに潰されて、又は噴火を足もとから引っぱり出して、又はいさぎよく風に倒されて、又はノアの洪水をひっかぶって、死んでしまおうと云うんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情して下さらないんですか。』
『あら、その噴火や洪水を。あたしのお祈りはそれよ。』シグナレスは思い切って云いました。シグナルはもううれしくてうれしくて、なおさら、ガタガタガタガタふるえました。その赤い眼鏡もゆれたのです。
『シグナレスさん。なぜあなたは死ななけあならないんですか。ね僕へお話し下さい。ね。僕へお話し下さい、きっと、僕はそのいけないやつを追っぱらってしまいますから一体どうしたんですね。』
『だって、あなたがあんなにお怒りなさるんですもの。』
『ふふん。ああ、そのことですか。ふん。いいえ。その事ならばご心配ありません。大丈夫です。僕ちっとも怒ってなんか居はしませんからね。僕、もうあなたの為なら、めがねをみんな取られて、腕をみんなひっぱなされて、それから沼の底へたたき込まれたって、あなたをうらみはしませんよ。』
『あら、ほんとう。うれしいわ。』
『だから僕を愛して下さい。さあ僕を愛するって云って下さい。』
 五日のお月さまは、この時雲と山のはとの丁度まん中に居ました。シグナルはもうまるで顔色を変えて灰色の幽霊みたいになって言いました。
『又あなたはだまってしまったんですね。やっぱり僕がきらいなんでしょう。もういいや、どうせ僕なんか噴火か洪水か風かにやられるにきまってるんだ。』
『あら、ちがいますわ。』
『そんならどうですどうです、どうです。』
『あたし、もう大昔からあなたのことばかり考えていましたわ。』
『本統ですか、本統ですか、本統ですか。』
『ええ。』
『そんならいいでしょう。結婚の約束をして下さい。』
『でも』
『でもなんですか、僕たちは春になったら燕にたのんで、みんなにも知らせて結婚の式をあげましょう。どうか約束して下さい。』
『だってあたしはこんなつまらないんですわ』



『わかってますよ、僕にはそのつまらないところが尊いんです。』
 すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの勇気を出して云い出しました。
『でもあなたは金でできてるでしょう。新式でしょう。赤青めがねも二組まで持っていらっしゃるわ、夜も電燈でしょう、あたしは夜だってランプですわ、めがねもただ一つきりそれに木ですわ。』
『わかってますよ。だから僕はすきなんです』
『あら、ほんとう。うれしいわ。あたしお約束するわ』
『え、ありがとう、うれしいなあ僕もお約束しますよ。あなたはきっと、私の未来の妻だ』
『ええ、そうよ、あたし決して変らないわ』
『約婚指環をあげますよ。そらねあすこの四つならんだ青い星ね』
『ええ』
『あの一番下の脚もとに小さな環が見えるでしょう、環状星雲ですよ。あの光の環ね、あれを受け取って下さい、僕のまごころです』
『ええ。ありがとう、いただきますわ』
『ワッハッハ。大笑いだ。うまくやってやがるぜ』
 突然向うのまっ黒な倉庫がそらにもはばかるような声でどなりました。二人はまるでしんとなってしまいました。
 ところが倉庫が又云いました。
『いや心配しなさんな。このことは決してほかへはもらしませんぞ。わしがしっかり呑み込みました』
 その時です、お月さまがカブンと山へお入りになってあたりがポカッとうすぐらくなったのは。
 今は風があんまり強いので電信ばしらどもは、本線の方も、軽便鉄道の方のもまるで気が気でなく、ぐうんぐうんひゅうひゅうと独楽のようにうなって居りました。それでも空はまっ青に晴れていました。
 本線シグナルつきの太っちょの電しんばしらも、もうでたらめの歌をやるどころの話ではありません、できるだけからだをちぢめて眼を細くして、ひとなみに、ブウウ、フウウとうなってごまかして居りました。
 シグナレスは、この時、東のぐらぐらする位強い青びかりの中をびっこをひくようにして走って行く雲を見て居りましたがそれからチラッとシグナルの方を見ました。
 シグナルは、今日は巡査のようにしゃんと、立っていましたが、風が強くて太っちょの電信ばしらに聞えないのをいいことにして、シグナレスにはなしかけました。



『どうもひどい風ですね。あなた頭がほてって痛みはしませんか。どうも僕は少しくらくらしますね。いろいろお話しますから、あなたただ頭をふってうなずいてだけいて下さい。どうせお返事をしたって、僕のところへ届きはしませんから、それから僕のはなしで面白くないことがあったら横の方に頭を振って下さい。これは、本とうは、欧羅巴の方のやり方なんですよ。向うでは、僕たちのように仲のいいものがほかの人に知れないようにお話をするときは、みんなこうするんですよ。僕それを向うの雑誌で見たんです、ね、あの倉庫のやつめ、おかしなやつですね。いきなり僕たちの話してるところへ口を出して、引き受けたの何のって云うんですもの、あいつはずいぶん太ってますね、今日も眼をパチバチやらかしてますよ。
 僕のあなたに物を言ってるのはわかっていても、何を言ってるのか風で一向聞えないんですよ、けれども全体、あなたに聞えてるんですか、聞えてるなら頭を振って下さい、ええそう、聞えるでしょうね。僕たち早く結婚したいもんですね。早く春になれあいいんですね。
 僕のとこのぶっきりこに少しも知らせないで置きましょう。そして置いて、いきなり、ウヘン、ああ風でのどがぜいぜいする。ああひどい。一寸お話をやめますよ。僕のどが痛くなったんです。わかりましたか、じゃちょっとさよなら』
 それからシグナルは、ううううと云いながら眼をぱちぱちさせてしばらくの間だまって居ました。シグナレスもおとなしくシグナルの咽喉のなおるのを待っていました。電信ばしらどもは、ブンブンゴンゴンと鳴り、風はひゅうひゅうとやりました。



 シグナルはつばをのみこんだりえーえーとせきばらいをしたりしていましたが、やっと咽喉の痛いのが癒ったらしく、もう一ぺんシグナレスに話しかけました。けれどもこの時は、風がまるで熊のように吼え、まわりの電信ばしらどもは山一ぱいの蜂の巣を一ぺんに壊しでもしたようにぐわんぐわんとうなっていましたので、折角のその声も、半分ばかりしかシグナレスに届きませんでした。
『ね、僕はもうあなたの為なら、次の汽車の来るとき、頑張って腕を下げないことでも、何でもするんですからね、わかったでしょう。あなたもその位の決心はあるでしょうね、あなたはほんとうに美しいんです、ね、世界の中にだって僕たちの仲間はいくらもあるんでしょう。その半分はまあ女の人でしょうがねえ、その中であなたは一番美しいんです。もっとも外の女の人僕よく知らないんですけれどね、きっとそうだと思うんですよ、どうです聞えますか。僕たちのまわりに居るやつはみんな馬鹿ですねのろまですね、僕とこのぶっきりこが僕が何をあなたに云ってるのかと思って、そらごらんなさい、一生けん命、目をパチバチやってますよ、こいつと来たら全くチョークよりも形がわるいんですからね、そら、こんどはあんなに口を曲げていますよ、呆れた馬鹿ですねえ、僕のはなし聞えますか、僕の……』
『若さま、さっきから何をべちゃべちゃ云っていらっしゃるのです。しかもシグナレス風情と、一体何をにやけて居らっしゃるんです』
 いきなり本線シグナル附の電信ばしらが、むしゃくしゃまぎれにごうごうの音の中を途方もない声でどなったもんですから、シグナルは勿論シグナレスもまっ青になってぴたっとこっちへまげていたからだをまっすぐに直しました。
『若さま、さあ仰しゃい。役目として承らなければなりません』



 シグナルは、やっと元気を取り直しました。そしてどうせ風の為に何を云っても同じことなのをいいことにして、
『馬鹿、僕はシグナレスさんと結婚して幸福になって、それからお前にチョークのお嫁さんを呉れてやるよ』
 とこうまじめな顔で云ったのでした。その声は風下のシグナレスにはすぐ聞えましたので、シグナレスは恐いながら思わず笑ってしまいました。さあそれを見た本線シグナル附の電信ばしらの怒りようと云ったらありません、早速ブルブルッとふるえあがり、青白く逆上せてしまい唇をきっと噛みながらすぐひどく手を廻してすなわち一ぺん東京まで手をまわして風下に居る軽便鉄道の電信ばしらに、シグナルとシグナレスの対話が、一体何だったか今シグナレスが笑ったことは、どんなことだったかたずねてやりました。
 ああ、シグナルは一生の失策をしたのでした。シグナレスよりも少し風下にすてきに耳のいい長い長い電信ばしらが居て知らん顔をしてすまして空の方を見ながら、さっきからの話をみんな聞いていたのです。そこで、早速、それを東京を経て本線シグナルつきの電信ばしらに返事をしてやりました。
 本線シグナルつきの電信ばしらは、キリキリ歯がみをしながら聞いていましたが、すっかり聞いてしまうと、さあまるでもう馬鹿のようになってどなりました。
『くそッ、えいっ。いまいましい。あんまりだ、犬畜生、あんまりだ。犬畜生、ええ、若さまわたしだって男ですぜ、こんなにひどく馬鹿にされてだまっているとお考えですか。結婚だなんてやれるならやってごらんなさい。電信ばしらの仲間はもうみんな反対です。シグナルばしらの人だちだって鉄道長の命令にそむけるもんですか。そして鉄道長はわたしの叔父ですぜ。結婚なり何なりやってごらんなさい。えい、犬畜生め、えい』
 本線シグナル附きの電信ばしらは、すぐ四方に電報をかけました。それからしばらく顔色を変えてみんなの返事をきいていました。確かにみんなから反対の約束を貰ったらしいのでした。それからきっと叔父のその鉄道長とかにもうまく頼んだにちがいありません。シグナルもシグナレスもあまりのことに今さらポカンとして呆れていました。本線シグナル附きの電信ばしらはすっかり反対の準備が出来るとこんどは急に泣き声で言いました。



『あああ、八年の間、夜ひる寝ないで面倒を見てやってそのお礼がこれか。ああ情ない、もう世の中はみだれてしまった。ああもうおしまいだ。なさけない。メリケン国のエジソンさまもこのあさましい世界をお見棄てなされたか。オンオンオンオン、ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー』
 風はますます吹きつのり、西のそらが変にしろくぼんやりなってどうもあやしいと思っているうちにチラチラチラチラとうとう雪がやって参りました。
 シグナルは力を落して青白く立ち、そっとよこ眼でやさしいシグナレスの方を見ました。シグナレスはしくしく泣きながら、丁度やって来る二時の汽車を迎える為にしょんぼりと腕をさげ、そのいじらしい撫肩はかすかにかすかにふるえて居りました。空では風がフイウ、涙を知らない電信ばしらどもはゴゴンゴーゴーゴゴンゴーゴー。
 さあ今度は夜ですよ。シグナルはしょんぼり立って居りました。
 月の光が青白く雪を照しています。雪はこうこうと光ります。そこにはすきとおって小さな紅火や青の火をうかべました。しいんとしています。山脈は若い白熊の貴族の屍体のようにしずかに白く横わり、遠くの遠くを、ひるまの風のなごりがヒュウと鳴って通りました、それでもじつにしずかです。黒い枕木はみなねむり赤の三角や黄色の点々さまざまの夢を見ているとき、若いあわれなシグナルはほっと小さなため息をつきました。そこで半分凍えてじっと立っていたやさしいシグナレスも、ほっと小さなため息をしました。
『シグナレスさん。ほんとうに僕たちはつらいねえ』
 たまらずシグナルがそっとシグナレスに話掛けました。
『ええみんなあたしがいけなかったのですわ』シグナレスが青じろくうなだれて云いました。



 諸君、シグナルの胸は燃えるばかり、
『ああ、シグナレスさん、僕たちたった二人だけ、遠くの遠くのみんなの居ないところに行ってしまいたいね。』
『ええ、あたし行けさえするならどこへでも行きますわ。』
『ねえ、ずうっとずうっと天上にあの僕たちの約婚指環よりも、もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでしょう。そら、ね、あすこは遠いですねえ。』
『ええ。』シグナレスは小さな唇でいまにもその火にキッスしたそうに空を見あげていました。
『あすこには青い霧の火が燃えているんでしょうね。その青い霧の火の中へ僕たち一緒に坐りたいですねえ。』
『ええ。』
『けれどあすこには汽車はないんですねえ、そんなら僕畑をつくろうか。何か働かないといけないんだから。』
『ええ。』
『ああ、お星さま、遠くの青いお星さま。どうか私どもをとって下さい。ああなさけぶかいサンタマリヤ、まためぐみふかいジョウジスチブンソンさま、どうか私どものかなしい祈りを聞いて下さい。』
『ええ。』
『さあ一緒に祈りましょう。』
『ええ。』
『あわれみふかいサンタマリヤ、すきとおるよるの底、つめたい雪の地面の上にかなしくいのるわたくしどもをみそなわせ、めぐみふかいジョウジスチブンソンさま、あなたのしもべのまたしもべ、かなしいこのたましいのまことの祈りをみそなわせ、ああ、サンタマリヤ。』
『ああ。』

10

 星はしずかにめぐって行きました。そこであの赤眼のさそりが、せわしくまたたいて東から出て来そしてサンタマリヤのお月さまが慈愛にみちた尊い黄金のまなざしに、じっと二人を見ながら、西のまっくろの山におはいりになったとき、シグナルシグナレスの二人は、いのりにつかれてもう睡って居ました。
       □
 今度はひるまです。なぜなら夜昼はどうしてもかわるがわるですから。
 ぎらぎらのお日さまが東の山をのぼりました。シグナルシグナレスはぱっと桃色に映えました。いきなり大きな巾広い声がそこら中にはびこりました。
『おい。本線シグナル附きの電信ばしら、おまえの叔父の鉄道長に早くそう云って、あの二人は一緒にしてやった方がよかろうぜ。』
 見るとそれは先ころの晩の倉庫の屋根でした。
 倉庫の屋根は、赤いうわぐすりをかけた瓦を、まるで鎧のようにキラキラ着込んで、じろっとあたりを見まわしているのでした。
 本線シグナル附きの電信ばしらは、がたがたっとふるえてそれからじっと固くなって答えました。
『ふん、何だとお前は何の縁故でこんなことに口を出すんだ』
『おいおい、あんまり大きなつらをするなよ。ええおい。おれは縁故と云えば大縁故さ、縁故でないと云えば、一向縁故でも何でもないぜ、がしかしさ。こんなことにはてめいのような変ちきりんはあんまりいろいろ手を出さない方が結局てめいの為だろうぜ』
『何だと。おれはシグナルの後見人だぞ。鉄道長の甥だぞ』
『そうか。おい立派なもんだなあ。シグナルさまの後見人で鉄道長の甥かい。けれどもそんならおれなんてどうだい、おれさまはな、ええ、めくらとんびの後見人、ええ風引きの脈の甥だぞ。どうだ、どっちが偉い』
『何をっ。コリッ、コリコリッ、カリッ』
『まあまあそう怒るなよ。これは冗談さ。悪く思わんで呉れ。な、あの二人さ、可哀そうだよ。いい加減にまとめてやれよ。大人らしくもないじゃないか。あんまり胸の狭いことは云わんでさ。あんな立派な後見人を持って、シグナルもほんとうにしあわせだと云われるぜ。な、まとめてやれ、まとめてやれ』
 本線シグナルつきの電信ばしらは、物を云おうとしたのでしたがもうあんまり気が立ってしまってパチパチパチパチ鳴るだけでした。
 倉庫の屋根もあんまりのその怒りように、まさかこんな筈ではなかったと云うように少し呆れてだまってその顔を見ていました。お日さまはずうっと高くなり、シグナルとシグナレスとはほっと又ため息をついてお互に顔を見合せました。シグナレスは瞳を少し落しシグナルの白い胸に青々と落ちためがねの影をチラッと見てそれから俄に目をそらして自分のあしもとをみつめ考え込んでしまいました。
 今夜は暖です。
 霧がふかくふかくこめました。
 そのきりを徹して、月のあかりが水色にしずかに降り、電信ばしらも枕木も、みんな寝しずまりました。
 シグナルが待っていたようにほっと息をしました。シグナレスも胸いっぱいのおもいをこめて小さくほっとといきしました。
 そのときシグナルとシグナレスとは、霧の中から倉庫の屋根の落ちついた親切らしい声の響いて来るのを聞きました。
『お前たちは、全く気の毒だね。わたしは今朝うまくやってやろうと思ったんだが、却っていけなくしてしまった。ほんとうに気の毒なことになったよ。しかしわたしには又考えがあるからそんなに心配しないでもいいよ。お前たちは霧でお互に顔も見えずさびしいだろう』
『ええ』
『ええ』
『そうか。ではおれが見えるようにしてやろう。いいか、おれのあとをついて二人一しょに真似をするんだぜ』

11

『ええ』
『そうか。ではアルファー』
『アルファー』
『ビーター』『ビーター』
『ガムマア』『ガムマーアー』
『デルタア』『デールータアーアアア』
 実に不思議です。いつかシグナルとシグナレスとの二人はまっ黒な夜の中に肩をならべて立っていました。
『おや、どうしたんだろう。あたり一面まっ黒びろうどの夜だ』
『まあ、不思議ですわね、まっくらだわ』
『いいや、頭の上が星で一杯です。おや、なんという大きな強い星なんだろう、それに見たこともない空の模様ではありませんか、一体あの十三連なる青い星は前どこにあったのでしょう、こんな星は見たことも聞いたこともありませんね。僕たちぜんたいどこに来たんでしょうね』
『あら、空があんまり速くめぐりますわ』
『ええ、あああの大きな橙の星は地平線から今上ります。おや、地平線じゃない。水平線かしら。そうです。ここは夜の海の渚ですよ。』
『まあ奇麗だわね、あの波の青びかり。』
『ええ、あれは磯波の波がしらです、立派ですねえ、行って見ましょう。』
『まあ、ほんとうにお月さまのあかりのような水よ。』
『ね、水の底に赤いひとでがいますよ。銀色のなまこがいますよ。ゆっくりゆっくり、這ってますねえ。それからあのユラユラ青びかりの棘を動かしているのは、雲丹ですね。波が寄せて来ます。少し遠退きましょう、』
『ええ。』
『もう、何べん空がめぐったでしょう。大へん寒くなりました。海が何だか凍ったようですね。波はもううたなくなりました。』
『波がやんだせいでしょうかしら。何か音がしていますわ。』
『どんな音。』
『そら、夢の水車の軋りのような音。』
『ああそうだ。あの音だ。ピタゴラス派の天球運行の諧音です。』
『あら、何だかまわりがぼんやり青白くなって来ましたわ。』
『夜が明けるのでしょうか。いやはてな。おお立派だ。あなたの顔がはっきり見える。』
『あなたもよ。』
『ええ、とうとう、僕たち二人きりですね。』
『まあ、青じろい火が燃えてますわ。まあ地面も海も。けど熱くないわ。』
『ここは空ですよ。これは星の中の霧の火ですよ。僕たちのねがいが叶ったんです。ああ、さんたまりや。』
『ああ。』
『地球は遠いですね。』
『ええ。』
『地球はどっちの方でしょう。あたりいちめんの星どこがどこかもうわからない。あの僕のブッキリコはどうしたろう。あいつは本とうはかあいそうですね。』
『ええ、まあ火が少し白くなったわ、せわしく燃えますわ。』
『きっと今秋ですね。そしてあの倉庫の屋根も親切でしたね。』
『それは親切とも。』いきなり太い声がしました。気がついて見るとああ二人とも一緒に夢を見ていたのでした。いつか霧がはれてそら一めんのほしが、青や橙やせわしくせわしくまたたき、向うにはまっ黒な倉庫の屋根が笑いながら立って居りました。
 二人は又ほっと小さな息をしました。





俳優・萩原聖人さんの朗読を聴いてみましょう。
朗読:シグナルとシグナレス

posted by 朗読太郎 at 00:54| 朗読する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おきなぐさ

宮沢賢治の「おきなぐさ」を朗読してみましょう




 うずのしゅげを知っていますか。
 うずのしゅげは、植物学(しょくぶつがく)ではおきなぐさと呼(よ)ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若(わか)い花をあらわさないようにおもいます。
 そんならうずのしゅげとはなんのことかと言(い)われても私にはわかったようなまたわからないような気がします。
 それはたとえば私どもの方で、ねこやなぎの花芽(はなめ)をべんべろと言(い)いますが、そのべんべろがなんのことかわかったようなわからないような気がするのと全(まった)くおなじです。とにかくべんべろという語(ことば)のひびきの中に、あの柳(やなぎ)の花芽(はなめ)の銀(ぎん)びろうどのこころもち、なめらかな春のはじめの光のぐあいが実(じつ)にはっきり出ているように、うずのしゅげというときは、あの毛※科(もうこんか)のおきなぐさの黒朱子(くろじゅす)の花びら、青じろいやはり銀(ぎん)びろうどの刻(きざ)みのある葉(は)、それから六月のつやつや光る冠毛(かんもう)がみなはっきりと眼(め)にうかびます。
 まっ赤なアネモネの花の従兄(いとこ)、きみかげそうやかたくりの花のともだち、このうずのしゅげの花をきらいなものはありません。
 ごらんなさい。この花は黒朱子(くろじゅす)ででもこしらえた変(か)わり型(がた)のコップのように見えますが、その黒いのは、たとえば葡萄酒(ぶどうしゅ)が黒く見えると同じです。この花の下を始終(しじゅう)往(い)ったり来たりする蟻(あり)に私はたずねます。
 「おまえはうずのしゅげはすきかい、きらいかい」
 蟻(あり)は活発(かっぱつ)に答えます。
 「大すきです。誰(だれ)だってあの人をきらいなものはありません」
 「けれどもあの花はまっ黒だよ」
 「いいえ、黒く見えるときもそれはあります。けれどもまるで燃(も)えあがってまっ赤な時もあります」
 「はてな、お前たちの眼(め)にはそんなぐあいに見えるのかい」
 「いいえ、お日さまの光の降(ふ)る時なら誰(だれ)にだってまっ赤に見えるだろうと思います」
 「そうそう。もうわかったよ。お前たちはいつでも花をすかして見るのだから」
 「そしてあの葉(は)や茎(くき)だって立派(りっぱ)でしょう。やわらかな銀(ぎん)の糸が植(う)えてあるようでしょう。私たちの仲間(なかま)では誰(だれ)かが病気(びょうき)にかかったときはあの糸をほんのすこうしもらって来てしずかにからだをさすってやります」
 「そうかい。それで、結局(けっきょく)、お前たちはうずのしゅげは大すきなんだろう」
 「そうです」
 「よろしい。さよなら。気をつけておいで」
 この通りです。
 また向(む)こうの、黒いひのきの森の中のあき地に山男がいます。山男はお日さまに向(む)いて倒(たお)れた木に腰掛(こしか)けて何か鳥を引き裂(さ)いてたべようとしているらしいのですが、なぜあの黝(くろず)んだ黄金(きん)の眼玉(めだま)を地面(じめん)にじっと向(む)けているのでしょう。鳥をたべることさえ忘(わす)れたようです。
 あれは空地(あきち)のかれ草の中に一本のうずのしゅげが花をつけ風にかすかにゆれているのを見ているからです。
 私は去年(きょねん)のちょうど今ごろの風のすきとおったある日のひるまを思い出します。
 それは小岩井農場(こいわいのうじょう)の南、あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわでした。かれ草の中に二本のうずのしゅげが、もうその黒いやわらかな花をつけていました。
 まばゆい白い雲が小さな小さなきれになって砕(くだ)けてみだれて、空をいっぱい東の方へどんどんどんどん飛(と)びました。
 お日さまは何べんも雲にかくされて銀(ぎん)の鏡(かがみ)のように白く光ったり、またかがやいて大きな宝石(ほうせき)のように蒼(あお)ぞらの淵(ふち)にかかったりしました。
 山脈(さんみゃく)の雪はまっ白に燃(も)え、眼(め)の前の野原は黄(き)いろや茶の縞(しま)になってあちこち掘(ほ)り起(お)こされた畑(はたけ)は鳶(とび)いろの四角(しかく)なきれをあてたように見えたりしました。
 おきなぐさはその変幻(へんげん)の光の奇術(トリック)の中で夢(ゆめ)よりもしずかに話しました。
 「ねえ、雲がまたお日さんにかかるよ。そら向(む)こうの畑(はたけ)がもう陰(かげ)になった」
 「走って来る、早いねえ、もうから松(まつ)も暗(くら)くなった。もう越(こ)えた」
 「来た、来た。おおくらい。急(きゅう)にあたりが青くしんとなった」
 「うん、だけどもう雲が半分お日さんの下をくぐってしまったよ。すぐ明るくなるんだよ」
 「もう出る。そら、ああ明るくなった」
 「だめだい。また来るよ、そら、ね、もう向(む)こうのポプラの木が黒くなったろう」
 「うん。まるでまわり燈籠(どうろう)のようだねえ」
 「おい、ごらん。山の雪の上でも雲のかげがすべってるよ。あすこ。そら。ここよりも動(うご)きようがおそいねえ」
 「もうおりて来る。ああこんどは早い早い、まるで落(お)ちて来るようだ。もうふもとまで来ちゃった。おや、どこへ行ったんだろう、見えなくなってしまった」
 「不思議(ふしぎ)だねえ、雲なんてどこから出て来るんだろう。ねえ、西のそらは青じろくて光ってよく晴れてるだろう。そして風がどんどん空を吹(ふ)いてるだろう。それだのにいつまでたっても雲がなくならないじゃないか」
 「いいや、あすこから雲が湧(わ)いて来るんだよ。そら、あすこに小さな小さな雲きれが出たろう。きっと大きくなるよ」
 「ああ、ほんとうにそうだね、大きくなったねえ。もう兎(うさぎ)ぐらいある」
 「どんどんかけて来る。早い早い、大きくなった、白熊(しろくま)のようだ」
 「またお日さんへかかる。暗(くら)くなるぜ、奇麗(きれい)だねえ。ああ奇麗(きれい)。雲のへりがまるで虹(にじ)で飾(かざ)ったようだ」
 西の方の遠くの空でさっきまで一生けん命(めい)啼(な)いていたひばりがこの時風に流(なが)されて羽(はね)を変(へん)にかしげながら二人のそばに降(お)りて来たのでした。
 「今日は、風があっていけませんね」
 「おや、ひばりさん、いらっしゃい。今日なんか高いとこは風が強いでしょうね」
 「ええ、ひどい風ですよ。大きく口をあくと風が僕(ぼく)のからだをまるで麦酒瓶(ビールびん)のようにボウと鳴らして行くくらいですからね。わめくも歌うも容易(ようい)のこっちゃありませんよ」
 「そうでしょうね。だけどここから見ているとほんとうに風はおもしろそうですよ。僕(ぼく)たちも一ぺん飛(と)んでみたいなあ」
 「飛(と)べるどこじゃない。もう二か月お待(ま)ちなさい。いやでも飛(と)ばなくちゃなりません」
 それから二か月めでした。私は御明神(ごみょうじん)へ行く途中(とちゅう)もう一ぺんそこへ寄(よ)ったのでした。
 丘(おか)はすっかり緑(みどり)でほたるかずらの花が子供(こども)の青い瞳(ひとみ)のよう、小岩井(こいわい)の野原には牧草(ぼくそう)や燕麦(オート)がきんきん光っておりました。風はもう南から吹(ふ)いていました。
 春の二つのうずのしゅげの花はすっかりふさふさした銀毛(ぎんもう)の房(ふさ)にかわっていました。野原のポプラの錫(すず)いろの葉(は)をちらちらひるがえし、ふもとの草が青い黄金(きん)のかがやきをあげますと、その二つのうずのしゅげの銀毛(ぎんもう)の房(ふさ)はぷるぷるふるえて今にも飛(と)び立ちそうでした。
 そしてひばりがひくく丘(おか)の上を飛(と)んでやって来たのでした。
 「今日は。いいお天気です。どうです。もう飛(と)ぶばかりでしょう」
 「ええ、もう僕(ぼく)たち遠いとこへ行きますよ。どの風が僕(ぼく)たちを連(つ)れて行くかさっきから見ているんです」
 「どうです。飛(と)んで行くのはいやですか」
 「なんともありません。僕(ぼく)たちの仕事(しごと)はもう済(す)んだんです」
 「こわかありませんか」
 「いいえ、飛(と)んだってどこへ行ったって野はらはお日さんのひかりでいっぱいですよ。僕(ぼく)たちばらばらになろうたって、どこかのたまり水の上に落(お)ちようたって、お日さんちゃんと見ていらっしゃるんですよ」
 「そうです、そうです。なんにもこわいことはありません。僕(ぼく)だってもういつまでこの野原にいるかわかりません。もし来年もいるようだったら来年は僕(ぼく)はここへ巣(す)をつくりますよ」
 「ええ、ありがとう。ああ、僕(ぼく)まるで息(いき)がせいせいする。きっと今度(こんど)の風だ。ひばりさん、さよなら」
 「僕(ぼく)も、ひばりさん、さよなら」
 「じゃ、さよなら、お大事(だいじ)においでなさい」
 奇麗(きれい)なすきとおった風がやって参(まい)りました。まず向(む)こうのポプラをひるがえし、青の燕麦(オート)に波(なみ)をたてそれから丘(おか)にのぼって来ました。
 うずのしゅげは光ってまるで踊(おど)るようにふらふらして叫(さけ)びました。
 「さよなら、ひばりさん、さよなら、みなさん。お日さん、ありがとうございました」
 そしてちょうど星が砕(くだ)けて散(ち)るときのように、からだがばらばらになって一本ずつの銀毛(ぎんもう)はまっしろに光り、羽虫(はねむし)のように北の方へ飛(と)んで行きました。そしてひばりは鉄砲玉(てっぽうだま)のように空へとびあがって鋭(するど)いみじかい歌をほんのちょっと歌ったのでした。
 私は考えます。なぜひばりはうずのしゅげの銀毛(ぎんもう)の飛(と)んで行った北の方へ飛(と)ばなかったか、まっすぐに空の方へ飛(と)んだか。
 それはたしかに、二つのうずのしゅげのたましいが天の方へ行ったからです。そしてもう追(お)いつけなくなったときひばりはあのみじかい別(わか)れの歌を贈(おく)ったのだろうと思います。そんなら天上へ行った二つの小さなたましいはどうなったか、私はそれは二つの小さな変光星(へんこうせい)になったと思います。なぜなら変光星(へんこうせい)はあるときは黒くて天文台からも見えず、あるときは蟻(あり)が言(い)ったように赤く光って見えるからです。






俳優・萩原聖人さんの朗読を聴いてみましょう。
朗読:おきなぐさ

posted by 朗読太郎 at 00:49| 朗読する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ツェねずみ

宮沢賢治の「ツェねずみ」を朗読してみましょう




 ある古い家の、まっくらな天井裏に、「ツェ」という名まえのねずみがすんでいました。
 ある日ツェねずみは、きょろきょろ四方を見まわしながら、床下街道(ゆかしたかいどう)を歩いていますと、向こうからいたちが、何かいいものをたくさんもって、風のように走って参りました。そしてツェねずみを見て、ちょっとたちどまって早口に言いました。
「おい、ツェねずみ。お前んとこの戸棚(とだな)の穴から、金米糖(こんぺいとう)がばらばらこぼれているぜ。早く行ってひろいな。」
 ツェねずみは、もうひげもぴくぴくするくらいよろこんで、いたちにはお礼も言わずに、いっさんにそっちへ走って行きました。ところが戸棚の下まで来たとき、いきなり足がチクリとしました。そして、「止まれ、だれかっ。」と言う小さな鋭い声がします。
 ツェねずみはびっくりしてよく見ますと、それは蟻(あり)でした。蟻の兵隊は、もう金米糖のまわりに四重の非常線を張って、みんな黒いまさかりをふりかざしています。二三十匹は金米糖を片っぱしから砕いたり、とかしたりして、巣へはこぶしたくです。ツェねずみはぶるぶるふるえてしまいました。
「ここから内へはいってならん。早く帰れ。帰れ、帰れ。」蟻の特務曹長(とくむそうちょう)が、低い太い声で言いました。
 ねずみはくるっと一つまわって、いちもくさんに天井裏へかけあがりました。そして巣の中へはいって、しばらくねころんでいましたが、どうもおもしろくなくて、おもしろくなくて、たまりません。蟻(あり)はまあ兵隊だし、強いからしかたもないが、あのおとなしいいたちめに教えられて、戸棚(とだな)の下まで走って行って蟻(あり)の曹長(そうちょう)にけんつくを食うとは、なんたるしゃくにさわることだとツェねずみは考えました。そこでねずみは巣からまたちょろちょろはい出して、木小屋の奥のいたちの家にやって参りました。
 いたちはちょうど、とうもろこしのつぶを、歯でこつこつかんで粉にしていましたが、ツェねずみを見て言いました。
「どうだ。金米糖がなかったかい。」
「いたちさん。ずいぶんお前もひどい人だね。私(わたし)のような弱いものをだますなんて。」
「だましゃせん。たしかにあったのや。」
「あるにはあっても、もう蟻が来てましたよ。」
「蟻が、へい。そうかい。早いやつらだね。」
「みんな蟻がとってしまいましたよ。私のような弱いものをだますなんて、償(まど)うてください。償うてください。」
「それはしかたない。お前の行きようが少しおそかったのや。」
「知らん、知らん。私のような弱いものをだまして。償うてください。償うてください。」
「困ったやつだな。ひとの親切をさかさまにうらむとは。よしよし。そんならおれの金米糖をやろう。」
「償うてください。償うてください。」
「えい、それ。持って行け。てめえの持てるだけ持ってうせちまえ。てめえみたいな、ぐにゃぐにゃした男らしくもねえやつは、つらも見たくねえ。早く持てるだけ持ってどっかへうせろ。」いたちはプリプリして、金米糖を投げ出しました。ツェねずみはそれを持てるだけたくさんひろって、おじぎをしました。いたちはいよいよおこって叫びました。
「えい、早く行ってしまえ。てめえの取った、のこりなんかうじむしにでもくれてやらあ。」
 ツェねずみは、いちもくさんに走って、天井裏の巣へもどって、金米糖をコチコチ食べました。
 こんなぐあいですから、ツェねずみはだんだんきらわれて、たれもあんまり相手にしなくなりました。そこでツェねずみはしかたなしに、こんどは、柱だの、こわれたちりとりだの、バケツだの、ほうきだのと交際をはじめました。中でも柱とは、いちばん仲よくしていました。
 柱がある日、ツェねずみに言いました。
「ツェねずみさん、もうじき冬になるね。ぼくらはまたかわいてミリミリ言わなくちゃならない。お前さんも今のうちに、いい夜具のしたくをしておいた方がいいだろう。幸いぼくのすぐ頭の上に、すずめが春持って来た鳥の毛やいろいろ暖かいものがたくさんあるから、いまのうちに、すこしおろして運んでおいたらどうだい。僕(ぼく)の頭は、まあ少し寒くなるけれど、僕は僕でまたくふうをするから。」
 ツェねずみはもっともと思いましたので、さっそく、その日から運び方にかかりました。
 ところが、途中に急な坂が一つありましたので、ねずみは三度目に、そこからストンところげ落ちました。
 柱もびっくりして、
「ねずみさん、けがはないかい。けがはないかい。」と一生けん命、からだを曲げながら言いました。ねずみはやっと起き上がって、それからかおをひどくしかめながら言いました。
「柱さん。お前もずいぶんひどい人だ。僕のような弱いものをこんな目にあわすなんて。」
 柱はいかにも申しわけがないと思ったので、
「ねずみさん、すまなかった。ゆるしてください。」と一生けん命わびました。
 ツェねずみは図にのって、
「許してくれもないじゃないか。お前さえあんなこしゃくなさしずをしなければ、私はこんな痛い目にもあわなかったんだよ。償(まど)っておくれ。償っておくれ。さあ、償っておくれよ。」
「そんなことを言ったって困るじゃありませんか。許してくださいよ。」
「いいや、弱いものをいじめるのは私はきらいなんだから、償っておくれ。償っておくれ。さあ、償っておくれ。」
 柱は困ってしまって、おいおい泣きました。そこでねずみも、しかたなく、巣へかえりました。それからは、柱はもうこわがって、ねずみに口をききませんでした。
 さてそののちのことですが、ちりとりはある日、ツェねずみに半分になった最中(もなか)を一つやりました。するとちょうどその次の日、ツェねずみはおなかが痛くなりました。さあ、いつものとおりツェねずみは、まどっておくれを百ばかりも、ちりとりに言いました。ちりとりもあきれて、もうねずみとの交際はやめました。
 また、そののちのことですが、ある日バケツはツェねずみに、せんたくソーダのかけらをすこしやって、
「これで毎朝お顔をお洗いなさい。」と言いましたら、ねずみはよろこんで次の日から、毎日それで顔を洗っていましたが、そのうちにねずみのおひげが十本ばかり抜けました。さあツェねずみは、さっそくバケツへやって来て、償(まど)っておくれ償っておくれを、二百五十ばかり言いました。しかしあいにくバケツにはおひげもありませんでしたし、償うわけにも行かず、すっかり参ってしまって、泣いてあやまりました。そして、もうそれからは、ちょっとも口をききませんでした。
 道具仲間は、みんな順ぐりにこんなめにあって、こりてしまいましたので、ついにはだれもツェねずみの顔を見るといそいでわきの方を向いてしまうのでした。
 ところがその道具仲間に、ただ一人だけ、まだツェねずみとつきあってみないものがありました。
 それは針がねを編んでこさえたねずみ捕(と)りでした。
 ねずみ捕りは全体、人間の味方なはずですが、ちかごろは、どうも毎日の新聞にさえ、猫(ねこ)といっしょにお払い物という札をつけた絵にまでして、広告されるのですし、そうでなくても、元来人間は、この針金のねずみ捕りを、一ぺんも優待したことはありませんでした。ええ、それはもうたしかにありませんとも。それに、さもさわるのさえきたないようにみんなから思われています。それですから実は、ねずみ捕りは人間よりはねずみの方に、よけい同情があるのです。けれども、たいていのねずみはなかなかこわがって、そばへやって参りません。ねずみ捕りは、毎日やさしい声で、
「ねずちゃん、おいで。今夜のごちそうはあじのおつむだよ。お前さんの食べる間、わたしはしっかり押えておいてあげるから。ね、安心しておいで。入り口をパタンとしめるようなそんなことをするもんかね。わたしも人間にはもうこりこりしてるんだから。おいでよ。そら。」
 なんてねずみを呼びかけますが、ねずみはみんな、
「へん、うまく言ってらあ。」とか、
「へい、へい。よくわかりましてございます。いずれ、おやじや、せがれとも相談の上で。」とか言ってそろそろ逃げて行ってしまいます。
 そして朝になると、顔のまっ赤(か)な下男(げなん)が来て見て、
「またはいらない。ねずみももう知ってるんだな。ねずみの学校で教えるんだな。しかしまあもう一日だけかけてみよう。」と言いながら、新しいえさととりかえるのでした。
 今夜も、ねずみ捕りは叫びました。
「おいでおいで。今夜はやわらかな半ぺんだよ。えさだけあげるよ。大丈夫さ。早くおいで。」
 ツェねずみが、ちょうど通りかかりました。そして、
「おや、ねずみ捕りさん、ほんとうにえさだけをくださるんですか。」と言いました。
「おや、お前は珍しいねずみだね。そうだよ。えさだけあげるんだよ。そら、早くお食べ。」
 ツェねずみはプイッと中にはいって、むちゃむちゃむちゃっと半ぺんを食べて、またプイッと外へ出て言いました。
「おいしかったよ。ありがとう。」
「そうかい。よかったね。またあすの晩おいで。」
 次の朝、下男が来て見ておこって言いました。
「えい。えさだけとって行きやがった。ずるいねずみだな。しかしとにかく中にはいったというのは感心だ。そら、きょうは鰯(いわし)だぞ。」
 そして鰯を半分つけて行きました。
 ねずみ捕りは、鰯をひっかけて、せっかくツェねずみの来るのを待っていました。
 夜になって、ツェねずみはすぐ出て来ました。そしていかにも恩に着せたように、
「今晩は、お約束どおり来てあげましたよ。」と言いました。
 ねずみ捕りは少しむっとしたが、無理にこらえて、
「さあ、食べなさい。」とだけ言いました。
 ツェねずみはプイッとはいって、ピチャピチャピチャッと食べて、またプイッと出て来て、それから大風(おおふう)に言いました。
「じゃ、あした、また、来て食べてあげるからね。」
「ブウ。」とねずみ捕りは答えました。
 次の朝、下男が来て見て、ますますおこって言いました。
「えい。ずるいねずみだ。しかし、毎晩、そんなにうまくえさだけ取られるはずがない。どうも、このねずみ捕りめは、ねずみからわいろをもらったらしいぞ。」
「もらわん。もらわん。あんまり人を見そこなうな。」とねずみ捕りはどなりましたが、もちろん、下男の耳には聞こえません。きょうも腐った半ぺんをくっつけていきました。
 ねずみ捕りは、とんだ疑いを受けたので、一日ぷんぷんおこっていました。夜になりました。ツェねずみが出て来て、さも大儀(たいぎ)らしく言いました。
「あああ、毎日ここまでやって来るのも、並みたいていのこっちゃない。それにごちそうといったら、せいぜい魚(さかな)の頭だ。いやになっちまう。しかしまあ、せっかく来たんだからしかたない。食ってやるとしようか。ねずみ捕りさん。今晩は。」
 ねずみ捕りは、はりがねをぷりぷりさせておこっていましたので、ただ一こと、
「お食べ。」と言いました。ツェねずみはすぐプイッと飛びこみましたが、半ぺんのくさっているのを見て、おこって叫びました、。
「ねずみとりさん。あんまりひどいや。この半ぺんはくさってます。僕のような弱いものをだますなんて、あんまりだ。償(まど)ってください。償ってください。」
 ねずみ捕りは、思わず、はり金をりゅうりゅうと鳴らすくらい、おこってしまいました。そのりゅうりゅうが悪かったのです。
「ピシャッ。シインン。」えさについていたかぎがはずれて、ねずみ捕りの入り口が閉じてしまいました。さあもうたいへんです。
 ツェねずみはきちがいのようになって、
「ねずみ捕りさん。ひどいや。ひどいや。うう、くやしい。ねずみ捕りさん。あんまりだ。」と言いながら、はりがねをかじるやら、くるくるまわるやら、地だんだふむやら、わめくやら、泣くやら、それはそれは大さわぎです。それでも、償ってください、償ってくださいは、もう言う力がありませんでした。
 ねずみ捕りの方も、痛いやら、しゃくにさわるやら、ガタガタ、ブルブル、リュウリュウとふるえました。一晩そうやってとうとう朝になりました。
 顔のまっ赤(か)な下男が来て見て、こおどりして言いました。
「しめた。しめた。とうとう、かかった。意地の悪そうなねずみだな。さあ、出て来い。こぞう。」





俳優・萩原聖人さんの朗読を聴いてみましょう。
朗読:ツェねずみ


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どんぐりと山猫

宮沢賢治の「どんぐりと山猫」を朗読してみましょう




 おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。

   かねた一郎さま 九月十九日
   あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
   あした、めんどなさいばんしますから、おいで
   んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
                   山ねこ 拝

 こんなのです。字はまるでへたで、墨もがさがさして指につくくらいでした。けれども一郎はうれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。
 ね床にもぐってからも、山猫のにやあとした顔や、そのめんどうだという裁判のけしきなどを考えて、おそくまでねむりませんでした。
 けれども、一郎が眼をさましたときは、もうすっかり明るくなっていました。おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。一郎はいそいでごはんをたべて、ひとり谷川に沿ったこみちを、かみの方へのぼって行きました。
 すきとおった風がざあっと吹くと、栗の木はばらばらと実をおとしました。一郎は栗の木をみあげて、
「栗の木、栗の木、やまねこがここを通らなかったかい。」とききました。栗の木はちょっとしずかになって、
「やまねこなら、けさはやく、馬車でひがしの方へ飛んで行きましたよ。」と答えました。
「東ならぼくのいく方だねえ、おかしいな、とにかくもっといってみよう。栗の木ありがとう。」
 栗の木はだまってまた実をばらばらとおとしました。
 一郎がすこし行きますと、そこはもう笛ふきの滝でした。笛ふきの滝というのは、まっ白な岩の崖のなかほどに、小さな穴があいていて、そこから水が笛のように鳴って飛び出し、すぐ滝になって、ごうごう谷におちているのをいうのでした。
 一郎は滝に向いて叫びました。
「おいおい、笛ふき、やまねこがここを通らなかったかい。」滝がぴーぴー答えました。
「やまねこは、さっき、馬車で西の方へ飛んで行きましたよ。」
「おかしいな、西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう。ふえふき、ありがとう。」
 滝はまたもとのように笛を吹きつづけました。
 一郎がまたすこし行きますと、一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、どってこどってこどってこと、変な楽隊をやっていました。
 一郎はからだをかがめて、
「おい、きのこ、やまねこが、ここを通らなかったかい。」
とききました。するときのこは、
「やまねこなら、けさはやく、馬車で南の方へ飛んで行きましたよ。」とこたえました。一郎は首をひねりました。
「みなみならあっちの山のなかだ。おかしいな。まあもすこし行ってみよう。きのこ、ありがとう。」
 きのこはみんないそがしそうに、どってこどってこと、あのへんな楽隊をつづけました。
 一郎はまたすこし行きました。すると一本のくるみの木の梢を、栗鼠がぴょんととんでいました。一郎はすぐ手まねぎしてそれをとめて、
「おい、りす、やまねこがここを通らなかったかい。」とたずねました。するとりすは、木の上から、額に手をかざして、一郎を見ながらこたえました。
「やまねこなら、けさまだくらいうちに馬車でみなみの方へ飛んで行きましたよ。」
「みなみへ行ったなんて、二とこでそんなことを言うのはおかしいなあ。けれどもまあもすこし行ってみよう。りす、ありがとう。」りすはもう居ませんでした。ただくるみのいちばん上の枝がゆれ、となりのぶなの葉がちらっとひかっただけでした。
 一郎がすこし行きましたら、谷川にそったみちは、もう細くなって消えてしまいました。そして谷川の南の、まっ黒な榧の木の森の方へ、あたらしいちいさなみちがついていました。一郎はそのみちをのぼって行きました。榧の枝はまっくろに重なりあって、青ぞらは一きれも見えず、みちは大へん急な坂になりました。一郎が顔をまっかにして、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にわかにぱっと明るくなって、眼がちくっとしました。そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろのかやの木のもりでかこまれてありました。
 その草地のまん中に、せいの低いおかしな形の男が、膝を曲げて手に革鞭をもって、だまってこっちをみていたのです。
 一郎はだんだんそばへ行って、びっくりして立ちどまってしまいました。その男は、片眼で、見えない方の眼は、白くびくびくうごき、上着のような半天のようなへんなものを着て、だいいち足が、ひどくまがって山羊のよう、ことにそのあしさきときたら、ごはんをもるへらのかたちだったのです。一郎は気味が悪かったのですが、なるべく落ちついてたずねました。
「あなたは山猫をしりませんか。」
 するとその男は、横眼で一郎の顔を見て、口をまげてにやっとわらって言いました。
「山ねこさまはいますぐに、ここに戻ってお出やるよ。おまえは一郎さんだな。」
 一郎はぎょっとして、一あしうしろにさがって、
「え、ぼく一郎です。けれども、どうしてそれを知ってますか。」と言いました。するとその奇体な男はいよいよにやにやしてしまいました。
「そんだら、はがき見だべ。」
「見ました。それで来たんです。」
「あのぶんしょうは、ずいぶん下手だべ。」と男は下をむいてかなしそうに言いました。一郎はきのどくになって、
「さあ、なかなか、ぶんしょうがうまいようでしたよ。」
と言いますと、男はよろこんで、息をはあはあして、耳のあたりまでまっ赤になり、きもののえりをひろげて、風をからだに入れながら、
「あの字もなかなかうまいか。」とききました。一郎は、おもわず笑いだしながら、へんじしました。
「うまいですね。五年生だってあのくらいには書けないでしょう。」
 すると男は、急にまたいやな顔をしました。
「五年生っていうのは、尋常五年生だべ。」その声が、あんまり力なくあわれに聞こえましたので、一郎はあわてて言いました。
「いいえ、大学校の五年生ですよ。」
 すると、男はまたよろこんで、まるで、顔じゅう口のようにして、にたにたにたにた笑って叫びました。
「あのはがきはわしが書いたのだよ。」一郎はおかしいのをこらえて、
「ぜんたいあなたはなにですか。」とたずねますと、男は急にまじめになって、
「わしは山ねこさまの馬車別当だよ。」と言いました。
 そのとき、風がどうと吹いてきて、草はいちめん波だち、別当は、急にていねいなおじぎをしました。
 一郎はおかしいとおもって、ふりかえって見ますと、そこに山猫が、黄いろな陣羽織のようなものを着て、緑いろの眼をまん円にして立っていました。やっぱり山猫の耳は、立って尖っているなと、一郎がおもいましたら、山ねこはぴょこっとおじぎをしました。一郎もていねいに挨拶しました。
「いや、こんにちは、きのうははがきをありがとう。」
 山猫はひげをぴんとひっぱって、腹をつき出して言いました。
「こんにちは、よくいらっしゃいました。じつはおとといから、めんどうなあらそいがおこって、ちょっと裁判にこまりましたので、あなたのお考えを、うかがいたいとおもいましたのです。まあ、ゆっくり、おやすみください。じき、どんぐりどもがまいりましょう。どうもまい年、この裁判でくるしみます。」山ねこは、ふところから、巻煙草の箱を出して、じぶんが一本くわい、
「いかがですか。」と一郎に出しました。一郎はびっくりして、
「いいえ。」と言いましたら、山猫はおうようにわらって、
「ふふん、まだお若いから、」と言いながら、マッチをしゅっと擦って、わざと顔をしかめて、青いけむりをふうと吐きました。山ねこの馬車別当は、気を付けの姿勢で、しゃんと立っていましたが、いかにも、たばこのほしいのをむりにこらえているらしく、なみだをぼろぼろこぼしました。
 そのとき、一郎は、足もとでパチパチ塩のはぜるような、音をききました。びっくりして屈んで見ますと、草のなかに、あっちにもこっちにも、黄金いろの円いものが、ぴかぴかひかっているのでした。よくみると、みんなそれは赤いずぼんをはいたどんぐりで、もうその数ときたら、三百でも利かないようでした。わあわあわあわあ、みんななにか云っているのです。
「あ、来たな。蟻のようにやってくる。おい、さあ、早くベルを鳴らせ。今日はそこが日当たりがいいから、そこのとこの草を刈れ。」やまねこは巻きたばこを投げすてて、大いそぎで馬車別当にいいつけました。馬車別当もたいへんあわてて、腰から大きな鎌をとりだして、ざっくざっくと、やまねこの前のとこの草を刈りました。そこへ四方の草のなかから、どんぐりどもが、ぎらぎらひかって、飛び出して、わあわあわあわあ言いました。
 馬車別当が、こんどは鈴をがらんがらんがらんがらんと振りました。音はかやの森に、がらんがらんがらんがらんとひびき、黄金のどんぐりどもは、すこししずかになりました。見ると山ねこは、もういつか、黒い長い繻子の服を着て、勿体らしく、どんぐりどもの前にすわっていました。まるで奈良のだいぶつさまにさんけいするみんなの絵のようだと一郎はおもいました。別当がこんどは、革鞭を二三べん、ひゅうぱちっ、ひゅう、ぱちっと鳴らしました。
 空が青くすみわたり、どんぐりはぴかぴかしてじつにきれいでした。
「裁判ももう今日で三日目だぞ、いい加減になかなおりをしたらどうだ。」山ねこが、すこし心配そうに、それでもむりに威張って言いますと、どんぐりどもは口々に叫びました。
「いえいえ、だめです、なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。」
「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。」
「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。」
「そうでないよ。わたしのほうがよほど大きいと、きのうも判事さんがおっしゃったじゃないか。」
「だめだい、そんなこと。せいの高いのだよ。せいの高いことなんだよ。」
「押しっこのえらいひとだよ。押しっこをしてきめるんだよ。」もうみんな、がやがやがやがや言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。そこでやまねこが叫びました。
「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」
 別当がむちをひゅうぱちっとならしましたのでどんぐりどもは、やっとしずまりました。やまねこは、ぴんとひげをひねって言いました。
「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減に仲なおりしたらどうだ。」
 すると、もうどんぐりどもが、くちぐちに云いました。
「いえいえ、だめです。なんといったって、頭のとがっているのがいちばんえらいのです。」
「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。」
「そうでないよ。大きなことだよ。」がやがやがやがや、もうなにがなんだかわからなくなりました。山猫が叫びました。
「だまれ、やかましい。ここをなんと心得る。しずまれしずまれ。」別当が、むちをひゅうぱちっと鳴らしました。山猫がひげをぴんとひねって言いました。
「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減になかなおりをしたらどうだ。」
「いえ、いえ、だめです。あたまのとがったものが……。」がやがやがやがや。
 山ねこが叫びました。
「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」別当が、むちをひゅうぱちっと鳴らし、どんぐりはみんなしずまりました。山猫が一郎にそっと申しました。
「このとおりです。どうしたらいいでしょう。」一郎はわらってこたえました。
「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」山猫はなるほどというふうにうなずいて、それからいかにも気取って、繻子のきものの胸を開いて、黄いろの陣羽織をちょっと出して、どんぐりどもに申しわたしました。
「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」
 どんぐりは、しいんとしてしまいました。それはそれはしいんとして、堅まってしまいました。
 そこで山猫は、黒い繻子の服をぬいで、額の汗をぬぐいながら、一郎の手をとりました。別当も大よろこびで、五六ぺん、鞭をひゅうぱちっ、ひゅうぱちっ、ひゅうひゅうぱちっと鳴らしました。やまねこが言いました。
「どうもありがとうございました。これほどのひどい裁判を、まるで一分半でかたずけてくださいました。どうかこれからわたしの裁判所の、名誉判事になってください。これからも、葉書が行ったら、どうか来てくださいませんか。そのたびにお礼はいたします。」
「承知しました。お礼なんかいりませんよ。」
「いいえ、お礼はどうかとってください。わたしのじんかくにかかわりますから。そしてこれからは、葉書にかねた一郎どのと書いて、こちらを裁判所としますが、ようございますか。」
 一郎が「ええ、かまいません。」と申しますと、山猫はまだなにか言いたそうに、しばらくひげをひねって、眼をぱちぱちさせていましたが、とうとう決心したらしく言い出しました。
「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでしょう。」
 一郎はわらって言いました。
「さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめたほうがいいでしょう。」
 山猫は、どうも言いようがまずかった、いかにも残念だというふうに、しばらくひげをひねったまま、下を向いていましたが、やっとあきらめて言いました。
「それでは、文句はいままでのとおりにしましょう。そこで今日のお礼ですが、あなたは黄金のどんぐり一升と、塩鮭のあたまと、どっちをおすきですか。」
「黄金のどんぐりがすきです。」
 山猫は、鮭の頭でなくて、まあよかったというように、口早に馬車別当に云いました。
「どんぐりを一升早くもってこい。一升にたりなかったら、めっきのどんぐりもまぜてこい。はやく。」
 別当は、さっきのどんぐりをますに入れて、はかって叫びました。
「ちょうど一升あります。」山ねこの陣羽織が風にばたばた鳴りました。そこで山ねこは、大きく延びあがって、めをつぶって、半分あくびをしながら言いました。
「よし、はやく馬車のしたくをしろ。」白い大きなきのこでこしらえた馬車が、ひっぱりだされました。そしてなんだかねずみいろの、おかしな形の馬がついています。
「さあ、おうちへお送りいたしましょう。」山猫が言いました。二人は馬車にのり別当は、どんぐりのますを馬車のなかに入れました。
 ひゅう、ぱちっ。
 馬車は草地をはなれました。木や藪がけむりのようにぐらぐらゆれました。一郎は黄金のどんぐりを見、やまねこはとぼけたかおつきで、遠くを見ていました。
 馬車が進むにしたがって、どんぐりはだんだん光がうすくなって、まもなく馬車がとまったときは、あたりまえの茶いろのどんぐりに変わっていました。そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も、一度に見えなくなって、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持って立っていました。
 それからあと、山ねこ拝というはがきは、もうきませんでした。やっぱり、出頭すべしと書いてもいいと言えばよかったと、一郎はときどき思うのです。




俳優・萩原聖人さんの朗読を聴いてみましょう。
朗読:どんぐりと山猫


posted by 朗読太郎 at 00:46| 朗読する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

猫の事務所

宮沢賢治の「猫の事務所」を朗読してみましょう




 軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。ここは主に、猫の歴史と地理をしらべるところでした。
 書記はみな、短い黒の繻子(しゆす)の服を着て、それに大へんみんなに尊敬されましたから、何かの都合で書記をやめるものがあると、そこらの若い猫は、どれもどれも、みんなそのあとへ入りたがつてばたばたしました。
 けれども、この事務所の書記の数はいつもただ四人ときまつてゐましたから、その沢山の中で一番字がうまく詩の読めるものが、一人やつとえらばれるだけでした。
 事務長は大きな黒猫で、少しもうろく[#「もうろく」に傍点]してはゐましたが、眼などは中に銅線が幾重も張つてあるかのやうに、じつに立派にできてゐました。
 さてその部下の
  一番書記は白猫でした、
  二番書記は虎猫(とらねこ)でした、
  三番書記は三毛猫でした、
  四番書記は竃猫(かまねこ)でした。
 竃猫といふのは、これは生れ付きではありません。生れ付きは何猫でもいいのですが、夜かまどの中にはひつてねむる癖があるために、いつでもからだが煤(すす)できたなく、殊に鼻と耳にはまつくろにすみがついて、何だか狸(たぬき)のやうな猫のことを云(い)ふのです。
 ですからかま[#「かま」に傍点]猫はほかの猫には嫌はれます。
 けれどもこの事務所では、何せ事務長が黒猫なもんですから、このかま[#「かま」に傍点]猫も、あたり前ならいくら勉強ができても、とても書記なんかになれない筈(はず)のを、四十人の中からえらびだされたのです。
 大きな事務所のまん中に、事務長の黒猫が、まつ赤な羅紗(らしや)をかけた卓(テーブル)を控へてどつかり腰かけ、その右側に一番の白猫と三番の三毛猫、左側に二番の虎猫と四番のかま[#「かま」に傍点]猫が、めいめい小さなテーブルを前にして、きちんと椅子(いす)にかけてゐました。
 ところで猫に、地理だの歴史だの何になるかと云ひますと、
 まあこんな風です。
 事務所の扉(と)をこつこつ叩(たた)くものがあります。
「はひれつ。」事務長の黒猫が、ポケツトに手を入れてふんぞりかへつてどなりました。
 四人の書記は下を向いていそがしさうに帳面をしらべてゐます。
 ぜいたく猫がはひつて来ました。
「何の用だ。」事務長が云ひます。
「わしは氷河鼠(ひようがねずみ)を食ひにベーリング地方へ行きたいのだが、どこらがいちばんいいだらう。」
「うん、一番書記、氷河鼠の産地を云へ。」
 一番書記は、青い表紙の大きな帳面をひらいて答へました。
「ウステラゴメナ、ノバスカイヤ、フサ河流域であります。」
 事務長はぜいたく猫に云ひました。
「ウステラゴメナ、ノバ………何と云つたかな。」
「ノバスカイヤ。」一番書記とぜいたく猫がいつしよに云ひました。
「さう、ノバスカイヤ、それから何!?」
「フサ川。」またぜいたく猫が一番書記といつしよに云つたので、事務長は少しきまり悪さうでした。
「さうさう、フサ川。まああそこらがいいだらうな。」
「で旅行についての注意はどんなものだらう。」
「うん、二番書記、ベーリング地方旅行の注意を述べよ。」
「はつ。」二番書記はじぶんの帳面を繰りました。「夏猫は全然旅行に適せず」するとどういふわけか、この時みんながかま[#「かま」に傍点]猫の方をじろつと見ました。
「冬猫もまた細心の注意を要す。函館(はこだて)付近、馬肉にて釣らるる危険あり。特に黒猫は充分に猫なることを表示しつつ旅行するに非(あらざ)れば、応々黒狐(くろぎつね)と誤認せられ、本気にて追跡さるることあり。」
「よし、いまの通りだ。貴殿は我輩のやうに黒猫ではないから、まあ大した心配はあるまい。函館で馬肉を警戒するぐらゐのところだ。」
「さう、で、向ふでの有力者はどんなものだらう。」
「三番書記、ベーリング地方有力者の名称を挙げよ。」
「はい、えゝと、ベーリング地方と、はい、トバスキー、ゲンゾスキー、二名であります。」
「トバスキーとゲンゾスキーといふのは、どういふやうなやつらかな。」
「四番書記、トバスキーとゲンゾスキーについて大略を述べよ。」
「はい。」四番書記のかま[#「かま」に傍点]猫は、もう大原簿のトバスキーとゲンゾスキーとのところに、みじかい手を一本づつ入れて待つてゐました。そこで事務長もぜいたく猫も、大へん感服したらしいのでした。
 ところがほかの三人の書記は、いかにも馬鹿(ばか)にしたやうに横目で見て、ヘツとわらつてゐました。かま[#「かま」に傍点]猫は一生けん命帳面を読みあげました。
「トバスキー酋長(しうちやう)、徳望あり。眼光炯々(けいけい)たるも物を言ふこと少しく遅し、ゲンゾスキー財産家、物を言ふこと少しく遅けれども眼光炯々たり。」
「いや、それでわかりました。ありがたう。」
 ぜいたく猫は出て行きました。
 こんな工合(ぐあひ)で、猫にはまあ便利なものでした。ところが今のおはなしからちやうど半年ばかりたつたとき、たうとうこの第六事務所が廃止になつてしまひました。といふわけは、もうみなさんもお気づきでせうが、四番書記のかま[#「かま」に傍点]猫は、上の方の三人の書記からひどく憎まれてゐましたし、ことに三番書記の三毛猫は、このかま[#「かま」に傍点]猫の仕事をじぶんがやつて見たくてたまらなくなつたのです。かま[#「かま」に傍点]猫は、何とかみんなによく思はれようといろいろ工夫をしましたが、どうもかへつていけませんでした。
 たとへば、ある日となりの虎猫(とらねこ)が、ひるのべんたうを、机の上に出してたべはじめようとしたときに、急にあくびに襲はれました。
 そこで虎猫は、みじかい両手をあらんかぎり高く延ばして、ずゐぶん大きなあくびをやりました。これは猫仲間では、目上の人にも無礼なことでも何でもなく、人ならばまづ鬚(ひげ)でもひねるぐらゐのところですから、それはかまひませんけれども、いけないことは、足をふんばつたために、テーブルが少し坂になつて、べんたうばこがするするつと滑つて、たうとうがたつと事務長の前の床に落ちてしまつたのです。それはでこぼこではありましたが、アルミニユームでできてゐましたから、大丈夫こはれませんでした。そこで虎猫は急いであくびを切り上げて、机の上から手をのばして、それを取らうとしましたが、やつと手がかかるかかからないか位なので、べんたうばこは、あつちへ行つたりこつちへ寄つたり、なかなかうまくつかまりませんでした。
「君、だめだよ。とどかないよ。」と事務長の黒猫が、もしやもしやパンを喰べながら笑つて云ひました。その時四番書記のかま[#「かま」に傍点]猫も、ちやうどべんたうの蓋(ふた)を開いたところでしたが、それを見てすばやく立つて、弁当を拾つて虎猫に渡さうとしました。ところが虎猫は急にひどく怒り出して、折角かま[#「かま」に傍点]猫の出した弁当も受け取らず、手をうしろに廻して、自暴(やけ)にからだを振りながらどなりました。
「何だい。君は僕にこの弁当を喰べろといふのかい。机から床の上へ落ちた弁当を君は僕に喰へといふのかい。」
「いいえ、あなたが拾はうとなさるもんですから、拾つてあげただけでございます。」
「いつ僕が拾はうとしたんだ。うん。僕はただそれが事務長さんの前に落ちてあんまり失礼なもんだから、僕の机の下へ押し込まうと思つたんだ。」
「さうですか。私はまた、あんまり弁当があつちこつち動くもんですから…………」
「何だと失敬な。決闘を………」
「ジヤラジヤラジヤラジヤラン。」事務長が高くどなりました。これは決闘をしろと云つてしまはせない為(ため)に、わざと邪魔をしたのです。
「いや、喧嘩(けんくわ)するのはよしたまへ。かま[#「かま」に傍点]猫君も虎猫君に喰べさせようといふんで拾つたんぢやなからう。それから今朝云ふのを忘れたが虎猫君は月給が十銭あがつたよ。」
 虎猫は、はじめは恐(こは)い顔をしてそれでも頭を下げて聴いてゐましたが、たうとう、よろこんで笑ひ出しました。
「どうもおさわがせいたしましてお申しわけございません。」それからとなりのかま[#「かま」に傍点]猫をじろつと見て腰掛けました。
 みなさんぼくはかま[#「かま」に傍点]猫に同情します。
 それから又五六日たつて、丁度これに似たことが起こつたのです。こんなことがたびたび起るわけは、一つは猫どもの無精なたちと、も一つは猫の前あし即(すなは)ち手が、あんまり短いためです。今度は向ふの三番書記の三毛猫が、朝仕事を始める前に、筆がポロポロころがつて、たうとう床に落ちました。三毛猫はすぐ立てばいいのを、骨惜みして早速前に虎猫(とらねこ)のやつた通り、両手を机越しに延ばして、それを拾ひ上げようとしました。今度もやつぱり届きません。三毛猫は殊にせいが低かつたので、だんだん乗り出して、たうとう足が腰掛けからはなれてしまひました。かま[#「かま」に傍点]猫は拾つてやらうかやるまいか、この前のこともありますので、しばらくためらつて眼をパチパチさせて居ましたが、たうとう見るに見兼ねて、立ちあがりました。
 ところが丁度この時に、三毛猫はあんまり乗り出し過ぎてガタンとひつくり返つてひどく頭をついて机から落ちました。それが大分ひどい音でしたから、事務長の黒猫もびつくりして立ちあがつて、うしろの棚から、気付けのアンモニア水の瓶(びん)を取りました。ところが三毛猫はすぐ起き上つて、かんしやくまぎれにいきなり、
「かま[#「かま」に傍点]猫、きさまはよくも僕を押しのめしたな。」とどなりました。
 今度はしかし、事務長がすぐ三毛猫をなだめました。
「いや、三毛君。それは君のまちがひだよ。
 かま[#「かま」に傍点]猫君は好意でちよつと立つただけだ、君にさはりも何もしない。しかしまあ、こんな小さなことは、なんでもありやしないぢやないか。さあ、えゝとサントンタンの転居届けと。えゝ。」事務長はさつさと仕事にかかりました。そこで三毛猫も、仕方なく、仕事にかかりはじめましたがやつぱりたびたびこはい目をしてかま[#「かま」に傍点]猫を見てゐました。
 こんな工合(ぐあひ)ですからかま[#「かま」に傍点]猫はじつにつらいのでした。
 かま[#「かま」に傍点]猫はあたりまへの猫にならうと何べん窓の外にねて見ましたが、どうしても夜中に寒くてくしやみが出てたまらないので、やつぱり仕方なく竈(かまど)のなかに入るのでした。
 なぜそんなに寒くなるかといふのに皮がうすいためで、なぜ皮が薄いかといふのに、それは土用に生れたからです。やつぱり僕が悪いんだ、仕方ないなあと、かま[#「かま」に傍点]猫は考へて、なみだをまん円な眼一杯にためました。
 けれども事務長さんがあんなに親切にして下さる、それにかま[#「かま」に傍点]猫仲間のみんながあんなに僕の事務所に居るのを名誉に思つてよろこぶのだ、どんなにつらくてもぼくはやめないぞ、きつとこらへるぞと、かま[#「かま」に傍点]猫は泣きながら、にぎりこぶしを握りました。
 ところがその事務長も、あてにならなくなりました。それは猫なんていふものは、賢いやうでばかなものです。ある時、かま[#「かま」に傍点]猫は運わるく風邪(かぜ)を引いて、足のつけねを椀(わん)のやうに腫(は)らし、どうしても歩けませんでしたから、たうとう一日やすんでしまひました。かま[#「かま」に傍点]猫のもがきやうといつたらありません。泣いて泣いて泣きました。納屋の小さな窓から射(さ)し込んで来る黄いろな光をながめながら、一日一杯眼をこすつて泣いてゐました。
 その間に事務所ではかういふ風でした。
「はてな、今日はかま[#「かま」に傍点]猫君がまだ来んね。遅いね。」と事務長が、仕事のたえ間に云ひました。
「なあに、海岸へでも遊びに行つたんでせう。」白猫が云ひました。
「いゝやどこかの宴会にでも呼ばれて行つたらう」虎猫(とらねこ)が云ひました。
「今日どこかに宴会があるか。」事務長はびつくりしてたづねました。猫の宴会に自分の呼ばれないものなどある筈(はず)はないと思つたのです。
「何でも北の方で開校式があるとか云ひましたよ。」
「さうか。」黒猫はだまつて考へ込みました。
「どうしてどうしてかま[#「かま」に傍点]猫は、」三毛猫が云ひ出しました。「この頃(ごろ)はあちこちへ呼ばれてゐるよ。何でもこんどは、おれが事務長になるとか云つてるさうだ。だから馬鹿(ばか)なやつらがこはがつてあらんかぎりご機嫌(きげん)をとるのだ。」
「本たうかい。それは。」黒猫がどなりました。
「本たうですとも。お調べになつてごらんなさい。」三毛猫が口を尖(とがら)せて云ひました。
「けしからん。あいつはおれはよほど目をかけてやつてあるのだ。よし。おれにも考へがある。」
 そして事務所はしばらくしんとしました。
 さて次の日です。
 かま[#「かま」に傍点]猫は、やつと足のはれが、ひいたので、よろこんで朝早く、ごうごう風の吹くなかを事務所へ来ました。するといつも来るとすぐ表紙を撫(な)でて見るほど大切な自分の原簿が、自分の机の上からなくなつて、向ふ隣り三つの机に分けてあります。
「ああ、昨日は忙しかつたんだな、」かま[#「かま」に傍点]猫は、なぜか胸をどきどきさせながら、かすれた声で独りごとしました。
 ガタツ。扉(と)が開いて三毛猫がはひつて来ました。
「お早うございます。」かま[#「かま」に傍点]猫は立つて挨拶(あいさつ)しましたが、三毛猫はだまつて腰かけて、あとはいかにも忙がしさうに帳面を繰つてゐます。ガタン。ピシヤン。虎猫がはひつて来ました。
「お早うございます。」かま[#「かま」に傍点]猫は立つて挨拶しましたが、虎猫は見向きもしません。
「お早うございます。」三毛猫が云ひました。
「お早う、どうもひどい風だね。」虎猫もすぐ帳面を繰りはじめました。
 ガタツ、ピシヤーン。白猫(しろねこ)が入つて来ました。
「お早うございます。」虎猫(とらねこ)と三毛猫が一緒に挨拶しました。
「いや、お早う、ひどい風だね。」白猫も忙がしさうに仕事にかかりました。その時かま[#「かま」に傍点]猫は力なく立つてだまつておじぎをしましたが、白猫はまるで知らないふりをしてゐます。
 ガタン、ピシヤリ。
「ふう、ずゐぶんひどい風だね。」事務長の黒猫が入つて来ました。
「お早うございます。」三人はすばやく立つておじぎをしました。かま[#「かま」に傍点]猫もぼんやり立つて、下を向いたまゝおじぎをしました。
「まるで暴風だね、えゝ。」黒猫は、かま[#「かま」に傍点]猫を見ないで斯(か)う言ひながら、もうすぐ仕事をはじめました。
「さあ、今日は昨日のつづきのアンモニアツクの兄弟を調べて回答しなければならん。二番書記、アンモニアツク兄弟の中で、南極へ行つたのは誰(たれ)だ。」仕事がはじまりました。かま[#「かま」に傍点]猫はだまつてうつむいてゐました。原簿がないのです。それを何とか云ひたくつても、もう声が出ませんでした。
「パン、ポラリスであります。」虎猫が答へました。
「よろしい、パン、ポラリスを詳述せよ。」と黒猫が云ひます。ああ、これはぼくの仕事だ、原簿、原簿、とかま[#「かま」に傍点]猫はまるで泣くやうに思ひました。
「パン、ポラリス、南極探検の帰途、ヤツプ島沖にて死亡、遺骸(ゐがい)は水葬せらる。」一番書記の白猫が、かま[#「かま」に傍点]猫の原簿で読んでゐます。かま[#「かま」に傍点]猫はもうかなしくて、かなしくて頬(ほほ)のあたりが酸つぱくなり、そこらがきいんと鳴つたりするのをじつとこらへてうつむいて居(を)りました。
 事務所の中は、だんだん忙しく湯の様になつて、仕事はずんずん進みました。みんな、ほんの時々、ちらつとこつちを見るだけで、たゞ一ことも云ひません。
 そしておひるになりました。かま[#「かま」に傍点]猫は、持つて来た弁当も喰べず、じつと膝(ひざ)に手を置いてうつむいて居りました。
 たうとうひるすぎの一時から、かま[#「かま」に傍点]猫はしくしく泣きはじめました。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。
 それでもみんなはそんなこと、一向知らないといふやうに面白さうに仕事をしてゐました。
 その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向ふにいかめしい獅子(しし)の金いろの頭が見えました。
 獅子は不審さうに、しばらく中を見てゐましたが、いきなり戸口を叩(たた)いてはひつて来ました。猫どもの愕(おど)ろきやうといつたらありません。うろうろうろうろそこらをあるきまはるだけです。かま[#「かま」に傍点]猫だけが泣くのをやめて、まつすぐに立ちました。
 獅子が大きなしつかりした声で云ひました。
「お前たちは何をしてゐるか。そんなことで地理も歴史も要(い)つたはなしでない。やめてしまへ。えい。解散を命ずる」
 かうして事務所は廃止になりました。
 ぼくは半分獅子に同感です。




俳優・三上博史さんの朗読を聴いてみましょう。
朗読:猫の事務所

posted by 朗読太郎 at 00:40| 朗読する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

よだかの星

宮沢賢治の「よだかの星」を朗読してみましょう




 よだかは、実にみにくい鳥です。
 顔は、ところどころ、味噌(みそ)をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
 足は、まるでよぼよぼで、一間(いっけん)とも歩けません。
 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合(ぐあい)でした。
 たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、夕方など、よだかにあうと、さもさもいやそうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方(ぽ)へ向けるのでした。もっとちいさなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっこうから悪口をしました。
「ヘン。又(また)出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」
「ね、まあ、あのくちのおおきいことさ。きっと、かえるの親類か何かなんだよ。」
 こんな調子です。おお、よだかでないただのたかならば、こんな生(なま)はんかのちいさい鳥は、もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるえて、顔色を変えて、からだをちぢめて、木の葉のかげにでもかくれたでしょう。ところが夜だかは、ほんとうは鷹(たか)の兄弟でも親類でもありませんでした。かえって、よだかは、あの美しいかわせみや、鳥の中の宝石のような蜂(はち)すずめの兄さんでした。蜂すずめは花の蜜(みつ)をたべ、かわせみはお魚を食べ、夜だかは羽虫をとってたべるのでした。それによだかには、するどい爪(つめ)もするどいくちばしもありませんでしたから、どんなに弱い鳥でも、よだかをこわがる筈(はず)はなかったのです。
 それなら、たかという名のついたことは不思議なようですが、これは、一つはよだかのはねが無暗(むやみ)に強くて、風を切って翔(か)けるときなどは、まるで鷹のように見えたことと、も一つはなきごえがするどくて、やはりどこか鷹に似ていた為(ため)です。もちろん、鷹は、これをひじょうに気にかけて、いやがっていました。それですから、よだかの顔さえ見ると、肩(かた)をいからせて、早く名前をあらためろ、名前をあらためろと、いうのでした。
 ある夕方、とうとう、鷹がよだかのうちへやって参りました。
「おい。居るかい。まだお前は名前をかえないのか。ずいぶんお前も恥(はじ)知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。たとえばおれは、青いそらをどこまででも飛んで行く。おまえは、曇(くも)ってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出て来ない。それから、おれのくちばしやつめを見ろ。そして、よくお前のとくらべて見るがいい。」
「鷹さん。それはあんまり無理です。私の名前は私が勝手につけたのではありません。神さまから下さったのです。」
「いいや。おれの名なら、神さまから貰(もら)ったのだと云(い)ってもよかろうが、お前のは、云わば、おれと夜と、両方から借りてあるんだ。さあ返せ。」
「鷹さん。それは無理です。」
「無理じゃない。おれがいい名を教えてやろう。市蔵(いちぞう)というんだ。市蔵とな。いい名だろう。そこで、名前を変えるには、改名の披露(ひろう)というものをしないといけない。いいか。それはな、首へ市蔵と書いたふだをぶらさげて、私は以来市蔵と申しますと、口上(こうじょう)を云って、みんなの所をおじぎしてまわるのだ。」
「そんなことはとても出来ません。」
「いいや。出来る。そうしろ。もしあさっての朝までに、お前がそうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。つかみ殺してしまうから、そう思え。おれはあさっての朝早く、鳥のうちを一軒(けん)ずつまわって、お前が来たかどうかを聞いてあるく。一軒でも来なかったという家があったら、もう貴様もその時がおしまいだぞ。」
「だってそれはあんまり無理じゃありませんか。そんなことをする位なら、私はもう死んだ方がましです。今すぐ殺して下さい。」
「まあ、よく、あとで考えてごらん。市蔵なんてそんなにわるい名じゃないよ。」鷹は大きなはねを一杯(いっぱい)にひろげて、自分の巣(す)の方へ飛んで帰って行きました。
 よだかは、じっと目をつぶって考えました。
(一たい僕(ぼく)は、なぜこうみんなにいやがられるのだろう。僕の顔は、味噌をつけたようで、口は裂(さ)けてるからなあ。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。赤ん坊(ぼう)のめじろが巣から落ちていたときは、助けて巣へ連れて行ってやった。そしたらめじろは、赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかえすように僕からひきはなしたんだなあ。それからひどく僕を笑ったっけ。それにああ、今度は市蔵だなんて、首へふだをかけるなんて、つらいはなしだなあ。)
 あたりは、もううすくらくなっていました。夜だかは巣から飛び出しました。雲が意地悪く光って、低くたれています。夜だかはまるで雲とすれすれになって、音なく空を飛びまわりました。
 それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹(いくひき)も幾匹もその咽喉(のど)にはいりました。
 からだがつちにつくかつかないうちに、よだかはひらりとまたそらへはねあがりました。もう雲は鼠色(ねずみいろ)になり、向うの山には山焼けの火がまっ赤です。
 夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋(ぴき)の甲虫(かぶとむし)が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑(の)みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。
 雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐(おそ)ろしいようです。よだかはむねがつかえたように思いながら、又そらへのぼりました。
 また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(う)えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)
 山焼けの火は、だんだん水のように流れてひろがり、雲も赤く燃えているようです。
 よだかはまっすぐに、弟の川せみの所へ飛んで行きました。きれいな川せみも、丁度起きて遠くの山火事を見ていた所でした。そしてよだかの降りて来たのを見て云いました。
「兄さん。今晩は。何か急のご用ですか。」
「いいや、僕は今度遠い所へ行くからね、その前一寸(ちょっと)お前に遭(あ)いに来たよ。」
「兄さん。行っちゃいけませんよ。蜂雀(はちすずめ)もあんな遠くにいるんですし、僕ひとりぼっちになってしまうじゃありませんか。」
「それはね。どうも仕方ないのだ。もう今日は何も云わないで呉(く)れ。そしてお前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚を取ったりしないようにして呉れ。ね、さよなら。」
「兄さん。どうしたんです。まあもう一寸お待ちなさい。」
「いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすずめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあわないよ。さよなら。」
 よだかは泣きながら自分のお家(うち)へ帰って参りました。みじかい夏の夜はもうあけかかっていました。
 羊歯(しだ)の葉は、よあけの霧(きり)を吸って、青くつめたくゆれました。よだかは高くきしきしきしと鳴きました。そして巣の中をきちんとかたづけ、きれいにからだ中のはねや毛をそろえて、また巣から飛び出しました。
 霧がはれて、お日さまが丁度東からのぼりました。夜だかはぐらぐらするほどまぶしいのをこらえて、矢のように、そっちへ飛んで行きました。
「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼(や)けて死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」
 行っても行っても、お日さまは近くなりませんでした。かえってだんだん小さく遠くなりながらお日さまが云いました。
「お前はよだかだな。なるほど、ずいぶんつらかろう。今度そらを飛んで、星にそうたのんでごらん。お前はひるの鳥ではないのだからな。」
 夜だかはおじぎを一つしたと思いましたが、急にぐらぐらしてとうとう野原の草の上に落ちてしまいました。そしてまるで夢(ゆめ)を見ているようでした。からだがずうっと赤や黄の星のあいだをのぼって行ったり、どこまでも風に飛ばされたり、又鷹が来てからだをつかんだりしたようでした。
 つめたいものがにわかに顔に落ちました。よだかは眼(め)をひらきました。一本の若いすすきの葉から露(つゆ)がしたたったのでした。もうすっかり夜になって、空は青ぐろく、一面の星がまたたいていました。よだかはそらへ飛びあがりました。今夜も山やけの火はまっかです。よだかはその火のかすかな照りと、つめたいほしあかりの中をとびめぐりました。それからもう一ぺん飛びめぐりました。そして思い切って西のそらのあの美しいオリオンの星の方に、まっすぐに飛びながら叫(さけ)びました。
「お星さん。西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。」
 オリオンは勇ましい歌をつづけながらよだかなどはてんで相手にしませんでした。よだかは泣きそうになって、よろよろと落ちて、それからやっとふみとまって、もう一ぺんとびめぐりました。それから、南の大犬座の方へまっすぐに飛びながら叫びました。
「お星さん。南の青いお星さん。どうか私をあなたの所へつれてって下さい。やけて死んでもかまいません。」
 大犬は青や紫(むらさき)や黄やうつくしくせわしくまたたきながら云いました。
「馬鹿を云うな。おまえなんか一体どんなものだい。たかが鳥じゃないか。おまえのはねでここまで来るには、億年兆年億兆年だ。」そしてまた別の方を向きました。
 よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又二へん飛びめぐりました。それから又思い切って北の大熊星(おおぐまぼし)の方へまっすぐに飛びながら叫びました。
「北の青いお星さま、あなたの所へどうか私を連れてって下さい。」
 大熊星はしずかに云いました。
「余計なことを考えるものではない。少し頭をひやして来なさい。そう云うときは、氷山の浮(う)いている海の中へ飛び込(こ)むか、近くに海がなかったら、氷をうかべたコップの水の中へ飛び込むのが一等だ。」
 よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又、四へんそらをめぐりました。そしてもう一度、東から今のぼった天(あま)の川(がわ)の向う岸の鷲(わし)の星に叫びました。
「東の白いお星さま、どうか私をあなたの所へ連れてって下さい。やけて死んでもかまいません。」
 鷲は大風(おおふう)に云いました。
「いいや、とてもとても、話にも何にもならん。星になるには、それ相応の身分でなくちゃいかん。又よほど金もいるのだ。」
 よだかはもうすっかり力を落してしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄(にわ)かにのろしのようにそらへとびあがりました。そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲(おそ)うときするように、ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。
 それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。その声はまるで鷹でした。野原や林にねむっていたほかのとりは、みんな目をさまして、ぶるぶるふるえながら、いぶかしそうにほしぞらを見あげました。
 夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻(すいがら)のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。
 寒さにいきはむねに白く凍(こお)りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
 それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜(しも)がまるで剣のようによだかを刺(さ)しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居(お)りました。
 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。


俳優・三上博史さんの朗読を聴いてみましょう。
朗読:よだかの星

posted by 朗読太郎 at 00:37| 朗読する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月26日

朗読:羅生門

「羅生門」は芥川龍之介が1915年に発表した短編小説で、高校の教科書にもとりあげられています。

主人に暇を出されたある下人が、羅生門の下で途方にくれていました。いっそこのまま盗賊になろうかと思いつつも踏み切れません。羅生門の中へ入ると、人の気配がします。それは悪事であると認識してはいるが、生活の糧を得るために死人の髪を抜く老婆だったのです。彼女はそれを、自分が生きるためであり、この死人も生前生きるための悪を働いたから、髪を抜くことは許されると言います。老婆の行為に対し正義の炎を燃やしていた下人でしたが、その言葉に決心し、老婆の着物をはぎ取ります。そして「己もそうしなければ、飢死をする体なのだ。」と言い残し、漆黒の闇の中へ消えていきます。


冒頭部分で描かれている設定ですが、暮れ方という昼と夜の変わり目、夏から秋へと季節が変わる変わり目、羅生門は洛中と洛外の間にある門、下人は青年と大人の中間など、全てが変わり目であるというふうに描写されています。
そのような変わり目の中で、生きることさえ言い訳にする弱々しい生き方を否定するという作品のように読み取れるかもしれません。
「この平安朝の下人のSentimentalismeに影響した」と描写している点、下人は平安朝の人物という設定ですが、昔の人ではなく現代に通じる人物として描かれているようです。


朗読:横内正

横内正

朗読 ききみみ名作文庫

posted by 朗読太郎 at 22:59| 俳優・女優の朗読を聞く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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